こんにちは。
よく、見方を変えれば現実が変わる、とか、すべては心によって創られる、とか色々な表現方法が
ありますが、ここでよく起きている大きな誤解について、シェアしたいと思います。
この話が伝えていることというのは、
「見方を変えた暁には、起きてくる事象自体が、頭で思い描いた望み通りに変わる」とか、
「自分の思い通りに事象を変えられる」
ということではありません。
見方が変わると、これまでとは違った認識で起きる事象をとらえるようになる、
すべてはその認識の中だよ、それ以外にはないよ、ということです。
例えば、ある人のことを苦手だと思っていて、
その苦手な人が、何かのきっかけで、あまり苦手じゃなくった、とか、
むしろ好きになったとしましょう。
それは、その人自身が実際に変わったのではなくて、
あなたの認識が、苦手→好きに変わったから、
そのような現象に見え方が転換したんですね。
なぜなら、認識がすべてだからです。
すべては、認識だけがあるんですね。
これは不幸で、これはよくないこと、
と感じているのも、
そのような認識(解釈)が起きているだけで、
実際に解釈したその現象自体が真実なのではありません。
そしてこれは、一部のことだけがそうで、一部のことには当てはまらない、
なんてことはなく、すべてに当てはまります。
これを受け入れるのは、ちょっと辛いかもしれません。
でも、起きている現象が事実ではない、本当ではないとしたら、
気持ちはだいぶ楽になるのではないでしょうか。
ですので、外側の事象を問題だ!と認識して、それを改善したり
解決しようと奮闘することは、
実はエネルギーを大きく消耗するだけで、実際、根本的な解決にはいたらないのです。
このことが本当に腑に落ちると、現象自体を変えようではなく、
制限的に見ている自身の見方を見直してみよう、に100%意識が向きます。
そうやって、制限的な見方をはずしていけばいくほどに、
勝手に現実がよくなっていきます。
向こうから自動的に、やわらかな幸せが流れてくる感じです。
制限的な見方がはずれたら、あなたは本来幸せそのものだからです。
そして、その見方が転換するのは、ネガティブをポジティブに転換しよう、ではなくて、
二元的な物事の見方(分離の見方)を超え、
ネガもポジも、ありのままにただ受け入れて
赦(ゆる)す、暖かな慈愛の目で見ることに他なりません。
こういうことをお話すると、どうしても自分は物事を否定的に見てしまう、
どうしてもネガティブにとらえてしまう、という人も少なくないのですが、
そうやって否定的にネガティブにとらえてしまう、今のどんな自分のことも赦し、
受け入れることからすべては始まります。
それも単に、自分自身へのジャッジが今、起きているだけだから。
すべては大丈夫。私たちはみんな、本当は純粋な愛そのものだから。
はなみ ゆうか