瞑想をやったことのある人や、心の学びをある程度進めていくと、
必ずといっていいほど耳にすることば「今ここ」。
ですが、私たちの思考の性質でもある
自我さん(親しみをこめて、これからは”さん”か”くん”か
”ちゃん”づけで呼ぶとしましょう)は、
「今ここ」にはいられません。
なぜなら、私たちの思考(自我さん)というのは
イメージの中での過去か未来にしかいられず、
ここでさしている「今ここ」を認識することができないからです。
だから、自我さんの中で、「今ここ」という言葉を
聴くと、「瞬間にいる」みたいな感じに捉えちゃう。
で、瞬間って一瞬なので、どこですか?
一瞬なんで、いられないんですけど・・
みたいな感じで混乱しちゃうわけです。
そうではなくて、
過去や未来のあれこれをイメージしている
その思考から「離れた」とき、
今しか存在していないよね、これしかないよね、
今がずーっとあるだけだね、
という、認識が訪れます。
その、自我さんが見ていた思考の(幻想)世界を離れたところに
ある意識(純粋意識とか全体意識とか呼びます)が、
今ここの本当の意味です。
そして、自我さんの大きな特徴のひとつは、
今と未来をコントロールできる、と思っているところ。
これ、ほとんどの人が信じていることだと思いますが、
(実際、社会もそのように成り立っているし、小さいころから教育でも教えられて
いることですよね・・)
本当にそうなんでしょうか。
もし、コントロールできる「私」という主体が、
自分の体の中にいるなら、
自分の思考も感情も行動も、体の様々な器官の働きも、
完全にコントロールできるはずですが、
それができる人はいませんよね。
覚えておきたかったことが忘れてしまって、
覚えてもおきたくない過去の嫌なあれこれが思い出される、
とか、
本当はこんな思いなんて持ちたくないのに、なんで悩み続けるんだろう
とか
なんであのとき行動しなかったんだろう
とか
なんで病気が治らないんだろう
とか・・
少し正直に見つめてみただけで、
自分の意思に反することが日常茶飯事なんじゃないでしょうか。
そう、コントロールできる、というのも自我さんによる
完全な思い込み(勘違い)なのです。
もっと言えば、そんな「私」はいないから。
(これはまた別の回で書きます)
すべては、様々な相互作用(縁)の重なりの中で起きている
ことで、私たちの日常で起きているあらゆることも、
自然現象と原理は全く一緒。
お天気みたいなものです。
例えば、
雲の中に「コントロールできる主体の私(魂)」がいて、
雲で覆いつくしてやるぞ!と仮に雲さんが
意気込んだところで、実際、天気はそのようにはなりませんよね。
例えば、地球さんが、
「なんで、太陽が中心なの?太陽の周りなんて回ってられるか!」
って主体的に太陽の周りを回らなくできるとしたら(コントロール
できるとしたら)、宇宙は一瞬で消滅でしょう・・笑
それと私たち人間も同じ原理で動いているですが、
私たちの脳が「コントロールできる私」がいる、
と誤認して認識しているだけなのです。
ということは、ぶっちゃけて言えば、
人生で起きてくることも決まっていて、変えることなどできないわけです。
だから、大変残念なお知らせですが、
未来を「私が」変えようといくら考えても
それは無駄なあがきなのです。
このことは、なかなか受け入れがたいかもしれませんね。
自我さんの抵抗が出てくるかもしれません。
ですが、このことに正直に心を開き、受け入れるにつれ、
あなたの中に、心からの安心感や
変わらない安らぎが生まれてくるでしょう。
なぜなら、すべてはただ自然現象と同じように
あらゆる相互作用の重なりの結果、”起きている”ことであり、
あなたのせいでも、あの人のせいでも、
社会のせいでもなんでもないから。
すると、相手や自分をジャッジしたり、攻撃するその手をやめて、
起きてくる現実を受け入れられやすくなり、
その中で自然と、心からの安らぎや穏やかな幸せを
感じやすくなるでしょう。
そして、その心の在り方が反映するように、
現実自体がスムーズに、柔らかなものへと変わっていきます。
もしわからなくなったら、
自然を眺めてみると、このことが思い出しやすくなるでしょう。
ぜひ、この奇跡を、ともに楽しめたら
嬉しく思います。
今日もよい一日をお過ごしください♪
ゆうか