ずばり、「本当の幸せとはなにか」、について、改めてシェアしたいと思います。
それは、自我プログラムが織りなす分離幻想という夢から目覚め、本質的自己に根差して生きること。
それ以外にはありません。
すべての苦しみは、脳が認識している、世界とは切り離されて存在している「個人としての私が存在する」という分離感からはじまります。
ですが、それは、脳というデバイスを通して認識している仮の姿であって、
実際はそうではありません。
本当の私は、なにからも切り離されていません。
なにからも切り離されていないのに、一体、なにから防衛する必要があるのでしょう。
外側などなにもないのに、一体、何から得る必要があるのでしょう。
個人としての私(がいるという感覚=自我)は、「私」を恐れから守るか攻撃するか、
より多くを得ようと奔走するかのどちらかです。
それのどこに、本当の安らぎや幸せがあるのでしょう。
「個人としての私」という分離幻想から目覚めたとき、
すべてがここにあります。
ただ存在するという喜び、絶対的な存在価値を感じ、
それはまさに、すべてを無条件に優しく包み込む愛そのものです。
その純粋意識こそが、本当の私たちで、そこには分離がありません。
これを本来、仏教では仏とよびます。
人間を含む、ありとあらゆるもの、森羅万象が、それそのものなのです。
これに気づいたとき、すべての苦しみは、霧のように消えていきます。
それは、脳が作り出したイメージ(夢)でしかなかった、すべては夢だった、
私たちは、本当は純粋な愛そのものだった、という気づきです。
これからも、この「本質的自己」への気づきと、それを生きることについて
色々な形で、分かち合いしていけたらと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
はなみ ゆうか