私たち人間は、
いつも心地よく、楽しく、幸せに暮らしたいと願っているのに、
それをダイレクトに求めることはせずに、
それとは真逆の方向に向かって走る、という性質を
持っています。
例えば、
自分の心地よさや楽しさを求めることは
わがままだ、いけないことだ、などと感じてしまい、
それを実行することには
罪悪感を感じたり。
どうやら、自分が犠牲になることで、
他者からなんとか認められよう、
怒られないようにしよう、
受け入れられよう、といった
戦略を無意識に取っているみたいです。
これは、幼い頃、親や周囲の大人たちに
愛され、受け入れられるための「対策」として
身につけたものを
大人になっても無意識的に使い続けている
心理的な習慣のようなもの。
でも、自身の欲求は満たされず、
ただ我慢しているだけで、
不満は解消していないので、
フラストレーションは溜まり続けるだけ。
それが爆発すると、
他者への怒りに向かったり、うつ状態になったりします。
日本人によく見られる
働きすぎも、パワハラ問題も、
実はこんなところがベースと
なっています。
それが、自我の性質のひとつであり、
いつも周りから自身を防衛しようとする
働きであり、この身体を持った
人間全てに実装されたプログラミングのようなもの。
この状態では
みんな恐れの中にいて、自分を守ることに
一生懸命で、辺りを伺い、監視し合っているから
一向に恐れの世界から抜け出ることはできません。
そして、これまで人は代々、この連鎖を繰り返してきました。
でも、本当は心から安心したいし、
変わることのない安らぎと愛があったら
最高だし、
楽しく心地よく、過ごしていきたい
のが本音ですよね。
この根源的な「幸せ」の欲求を満たしたいと
思って、色々外側の出来事に対処し、
それを「得よう」と頑張りますが、
それが自我の性質そのものです。
そして、一時的に、得られたような気がしても、
外側のものは必ず変化し、得られたものも
いずれ消えていきます。
消えることがどこかでわかっているので、
それに対する
不安や恐れを抱き、それが執着にもつながったりしますが、
それも自我の性質。
この性質に囚われていると、
一向に恐れのループから抜けられません。
根源的な、変わることのない安らぎ、安心感、幸せ。
それは、外にあるのではなくて、
いつでも、自らの内に、「すでに」あります。
ダイレクトに今、それを内側に求めさえすれば
それは必ず叶います。
そして、
あなたがその「幸せ」の状態にあれば、
それは必ず周囲を幸せにします。
元々、深いところでは、みんなこのことを
知っているから。