学びを「実践」に変えるコツ

インターネットを通じて、

いつでもどこでも、気軽に様々な分野について

情報収集ができたり、

安いコストと短時間で学べる時代。

 

本当に便利な時代になりましたね。

 

情報が溢れている時代においては、

自らにとって大事な情報を意識的に

「選ぶ」ことも大事ですが、

 

学んだ知識をすぐに「実践する」。

 

これが今の時代、とても大事だな、と改めて思います。

 

私たちは(特に日本では)、小さい頃から

知識をとにかく詰め込むスタイル中心の、

「受け身」の教育を受けているので、

 

それを自ら活用して、日々実践すること、

活かしていくことが

苦手な方も多いんじゃないでしょうか。

 

私が一般の方からのご相談や、もしくは、様々な企業さんへ、健康経営(=社員さんの心身の健康増進の取り組みを企業が主体となっておこなうこと)のコンサルをおこなうときも、

よくご相談をいただくことは

「日々の実践が難しい(習慣化できない)」

ということ。

 

セミナーなどで学んだ知識を、

自らすぐに実践して、習慣化すること、

この「一連の流れ」を、

しっかりと創ること(工夫すること)がとても大事

で、

私もワークショップを開催するときや

企業さんへコンサルをするときは

ここに大きな重点をおいています。

 

 

実践のポイントはいくつかありますが、

 

まずは、簡単に今すぐ始められそうなことから

できる限りすぐにやること。

 

できれば、学んだ直後(当日中)、

もし当日中にできなければ、3日以内には

必ず一歩目を踏み出すことが大事です。

なぜなら、せっかく学んでもすぐに忘れてしまうから。

 

 

また、取り組む期限を決めること。

「3」という数字は習慣化のパワーを持っており、

まずは3週間(21日間)をお勧めしています。

 

(3週間続けると、すでに毎日やらないと気持ち悪い感じがするかも・・)

 

でも、この時点で、全然ピンとこないな、

なんか違うな、と思うかもしれません。

 

そう感じたら、やめて全然OKです。

 

自分に合わないものを無理にやる必要はありません。

ここで、昔の「石の上にも3年」思考は不要です。

 

今はそのタイミングではないのかもしれないし

自分にとってはあまり必要がなかったことが、

行動することによってはっきりわかる

こともあります(このパターンもかなり多いです)。

 

実際の行動によって生まれたあなたの内なる感覚が、

あなたにとっては不必要な物事を

ちゃんと教えてくれています。

 

どんな人にも、本当に必要なことしか起こらないので、

自らの感覚やプロセスを信頼しましょう。

 

また、

やりたいこと、気になることがたくさんあるけれど

多すぎてどれから手をつけていいか分からず

困っている、という場合。

 

とにかく行動してみることによって、

あれ、実はそんなにやりたいことでもなかったかも・・

なんか続けなくてもいいかも・・

ということが、はっきりわかります。

 

色々断捨離にもなるので、

結果的には精神的にも時間的にも余裕ができて

かなりスッキリすると思います。

 

そして、

本当の自分が、心からやりたいことなら、

どんなに忙しくても、

その他色々な制約があっても、

結果的にやってしまうものです。

 

続かない物事は、実は自分にとっては

そんなに大事なことではなかったことが

明らかになっただけかもしれません。

 

あと、これがとても重要なのですが、

プロセス自体を「楽しむこと」です。

 

私たちは小さい頃から、「頑張る」ことが

大事だと教わってきたため、

 

何かを取り組みはじめるときに、

「楽しむ」ことより、「頑張る」ことに

自然とフォーカスが向いてしまい、

 

「辛そう、大変そう」と

そもそも取り組む前からネガティブなイメージを

持ってしまって

無意識的に自ら行動に制限をかけてしまっていたり、

 

すぐに自分が期待した効果が得られないと、

辛くなって続けられなかったりします。

 

ですが、プロセス自体を楽しんでいれば、

「もっとやりたい」という気持ちに自然となります。

 

それをやっているとき、

楽しいし、心地よければ、

人は「ついついやってしまう」生き物です。

その積み重ねが、知らずのうちに楽に

習慣化していますし、

 

そして、実は、

その楽しさや心地よさを味わうこと自体が

本当に欲しい幸せの感覚であり、

本当に欲しかったもの(=ゴールそのもの)

であったことに

気づくかもしれません。

 

 

とにかく、すぐに行動!すぐに実践!

そして

それ自体を楽しみましょう!

 

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北風と太陽」の世界

かの有名な「北風と太陽」のお話。

 

昔から人は、とてもシンプルだけれど、

人間の心の本質をとらえたこの深い話を思い出しては、

いつの間にか忘れてしまう、

そんなことを繰り返しているのかもしれません。

 

 

北風は、

風をビュービュー吹かせて

旅人の服を脱がせようと試みますが、

旅人はより一層寒さに震えて服にしがみつき

一向に脱がせることができず・・

 

一方、太陽は、

自らのあたたかな光を発し続けることで、

旅人をあたため、

旅人は自然と服を脱ぎたい気持ちになり、

自ら服を脱ぐことになります。

 

 

学校や会社など、これまでの社会においては

「北風を吹かせる」ことが主流でした。

 

 

ルールや制度、規律というものを重んじ、

社会的地位が上の者がこれに従うように指示をし、

下の者が従順に従う、

 

指示に従わない者がいれば、

厳重注意や、場合によっては罰則を与えるなどして、

恐れや罪悪感を与え、

何かをするにつけ、いつも辺りの様子を伺い、

失敗しないように注意を払って

対応する・・

 

そんな「北風コントロール」に基づいた

社会が、学校なり会社なり、その他大小問わず

多くのコミュニティにて展開されてきたように

思います。

 

 

それが当たり前だったし、

今でも、そのような世界しかない

と思っている人も多いかもしれません。

 

禅(ZEN)でいうところの、

「自我(エゴ)をベースとした恐れの世界」

=北風コントロールの世界

といっても良いでしょう。

 

この世界では、

旅人だけでなく、

北風も恐れに基づいています。

北風は、外側をコントロールすることによって、

秩序が保たれて、なんとか安心が得られると思っているし、

自身の価値や力を証明できると思っているから。

 

裏返して言えば、

今の状態では、

安心を得られずに恐れや不安を抱いているし、

今の状態ではダメだと思っているし、

力のなさを感じている(だから外側に証明したい)

ということです。

 

北風も旅人も、みんな恐れという城壁の中で

生きています。

 

 

一方で、太陽は、旅人の思いを尊重しています。

 

太陽は別に、旅人に服を無理やり脱がせようとは

思っていません。

 

太陽は愛そのものであり、恐れがないので、

旅人の今の状態をそのまま受け入れています。

(脱いでも脱がなくても、どっちだっていいよ、という

心境です。)

 

太陽自身の中で常に自家発電している

あたたかな光(愛)が、自然に漏れ出し、

いつも辺り一体を大きく照らしています。

 

その光(愛)のエネルギーが大きければ大きいほどに

より辺りを照らし、

旅人をあたためていきます。

 

旅人は、太陽のあたたかな愛の光によって、

服(という恐れで自身を小さく見積もっていた勘違いの自分)を

脱ぎ捨て、

太陽と同じように、本来の自身の光を思い出した

のかもしれません。

 

恐れからの対応は、恐れを引き寄せ、

愛からの対応は、愛を引き寄せる。

 

全ては本来、(目にみえる物質含め)エネルギーから

成り立っているこの自然界の仕組みです。

 

そして、北風が悪いのではありません。

 

北風も、自身の中にある太陽の光を

すっかり忘れてしまっただけで、

もうすでに、その光の中にいます。

 

恐れの世界も単なる一側面であり、

太陽が暖かく照らす愛に満ちた世界も同じ

時空間に存在しています。

 

ただ、これまでの習慣で、

すっかり恐れに「フォーカス」しているので、

その光が見えなくなってしまっただけ。

 

北風自身も、長い間、北風をビュービューと吹かせること

は、疲れるし、恐れや心配などで

あまりいい気分ではないし、

時に旅人からも疎まれて、正直しんどいのではないでしょうか。

 

 

本来の、太陽である自分を思い出していくには、

とてもシンプルですが

今、いい気分でいるか

今、安心と幸せの感覚に包まれているか

です。

 

そこにいつも戻る、と心の内で決意するだけです。

 

今、安心と幸せを「感じている」とき、

すでに自身が恐れから解放され、愛の光の中にいます。

 

その光で辺りを照らすとき、

真に安心と幸せに満ちた世界が訪れるでしょう。

 

なぜだか、昔から好きだった、「北風と太陽」の話が

ふっと浮かびましたので、流れのままに書いてみました。

 

今日の東京は、太陽のあたたかな光に照らされて、

ポカポカと心地よいひとときが続いています。

 

それでは今日も一日、ウェルビーイングなひとときを

お過ごしください^^

 

はなみ ゆうか

 

 

本来の幸せな社会とは

年度が変わり、学校や会社も新しいスタートをきっていますが、

いかがお過ごしでしょうか。

 

先月末の年度終わりに、

私がいつも一緒にお仕事をさせていただいている会社の社長さんが

任期で退任することになり、

その場にたまたま居合わせたこともあって、

社員の向けた退任のご挨拶を一緒に聴けたのですが、

その際のご挨拶の中で、

「楽しむ」という言葉を何度も繰り返されていらっしゃったのが

とても印象的でした。

 

どんな小さな仕事にも、その中に楽しさを感じること

何よりも自身の人生なのだから、

日々楽しく仕事に取り組み、仕事以外でも日々楽しいなと感じる時間を増やしていくこと、

その楽しさが、本当の意味でお客さんや社会に貢献していくことにつながるのだ、ということ・・等等

 

「明日のために一生懸命頑張る」「未来をより良くするために今を我慢する」という、

バリバリ世代の方からそのようなお言葉を聴いたときに、

なんだか時代の大きな転換をものすごく身近に感じた瞬間でした。

 

これまでの社会では、

学校でも仕事においても

知識や論理や計算といった左脳的思考を重視してきて、

感覚や感性といった、私たちが本来幸せを感じる右脳的な機能を軽視してきたように思います。

 

本来、私たち人間にとって一番大切な

「今ここの幸せを感じる心」や「自らの幸せを育む心」が

だいぶ置き去りにされてきてしまったように思うのです。

 

いつも今は満たされなさを感じながら、

いつ来るかもわからない未来の幸せ、未来の安心(という幻想)のために、

今を犠牲にし、今楽しむことを無意識に拒絶し(それを罪悪感という感覚で感じ)、

あれこれ忙しく日々が過ぎ去っていく・・

 

それが当たり前のように、ほぼ共通の観念として、

私たちの人生に染み付いていたのが

これまでの時代であったように思います。

 

「忙しい」の「忙」は、心を亡くすと書きますが、

まさに言い得て妙ですね。

 

私は普段、さまざまな企業さんの「健康経営(企業の社員の皆さんの心身の健康増進を会社全体として推進する経営的な取り組み)」

をサポートするお仕事をさせていただいているのですが、

ここで様々に発生している問題の根本には、

「楽しさや愛、幸せ」といった、私たち人間の本質である

「純粋な心」を置き去りにしてしまったことにあると

常々感じています。

 

ですが、知識や論理といったものは

あくまで心を表現していくための道具なのだから、

本来、「幸せなあり方(心)」をベースに、

知識や論理などの「道具」を「使っていく」

ことが大事なのではないでしょうか。

 

どんな人も、いつも幸せを感じていたい、

それは人類共通です。

 

社会の仕組みもルールも、日々の私たちの社会的な活動も全て、

幸せに生きるために生み出されたものが

 

いつの間にか、それらに縛られて窮屈に感じるという・・

 

そんな本末転倒な状態のひずみが、

会社や学校など、いたるところで顕在化するようになりました。

 

それは、一見苦しいことに見えると思いますが、

時代の大きな転換期において、

私たち一人ひとりが自身や人生を見つめ直す、

とても良いチャンスにもなっていると感じます。

 

一人ひとりが、これまで無意識に使ってきた

「犠牲感」や「べき思考」、

今のままではだめだといった「罪悪感」を手放して、

「安心や楽しさや幸せ」といった本来私たちが兼ね備えている

「純粋な意識」の中で日々の暮らしを生きはじめたとき、

社会も本来の機能を発揮した

幸せな社会になるのではないか、と

思います。

 

今日1日、いや、今この瞬間に、どんな幸せを感じていますか、

どんな喜びを感じますか。

どんなに小さなことでも良いので、

探してみましょう。

どんな状況であれ、

その視点で見ようとすれば、必ず見つかります。

 

それでは今日も、それぞれにウェルビーイングな週末の続きをお過ごしください。

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

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