本質的なポジティブ

 

私たちは普段、これこれの思考や感情はポジティブで、

これこれの思考や感情はネガティブ、として捉えがちだけれど、

 

それもほんとうは、

頭の中で、これはポジティブ、これはネガティブと

決めつけている(ジャッジしている)だけで、

ほんとうはポジもネガもないです。

 

本質的には、

人が、例えば「悲しみと感じる」エネルギーが

ただあるだけ。

 

そして、

その「悲しみ」という感情が

「今、ただあるね」

とありのままに受け入れることが

本質的なポジティブだし、

 

そのようなネガティブな感情を感じちゃダメ、

とそれを感じるのを拒否したり、

否定したり、みなかったことにしたりするのが

本質的なネガティブなんです。

 

ほんとうに、どんな感情もただ今、それが起きているだけで、

自然現象、お天気みたいなもの。

 

そのように、どのような感情も

自然と同じように、

 

あるがままを受け入れて、ただ感じていれば、

それは過ぎ去って流れていきます。

そこに、苦しみはありません。

 

こんなことを考えるなんて

こんなネガティブな感情を感じるなんて、だめだ!

と拒否するから

苦しみが生まれるのです。

 

あらゆるものは森羅万象、

自然のように、思考や感情もバリエーションに

とんでいて、

ときには雲が流れてきて、雨が降って、

晴天になって、を繰り返しています。

 

人の思考や感情も、健康状態も、

人生で経験することも、

青空のときもあれば、曇りがあって、

雨が降って、また晴れて・・

 

どこまでいっても、その繰り返し。

 

だから、ほんとうに、

そのまんまでOKなのです。

 

そして、

ありとあらゆるそれを、

そのまんまでOK、と慈しんで、愛でるこころの部分は

(これはみんなのこころの一番深いところにあります)、

純粋にいい気分で、ただわけもなく幸せです。

 

まだ物心がつかない小さなころ、私たちは

みんなこの状態でした。

 

そこが、大人になるにつれ、徐々に見えなくなり、

その部分をすっかり忘れてしまって、

感じられなくなるのが人間の性だから、

一緒に再発見して、感じていきませんか、

というのが、このブログでの発信含め、

コミュニティ活動のベースになっています。

 

最近、私の推し活(笑)のようになっている、

藤井風さんの新曲「満ちてゆく」の歌詞にも出てくる、

 

「晴れてゆく空も荒れてゆく空も僕らは愛でてゆく~♪」

 

まさにそんな感じです。

 

今日は、春の陽気で、晴れてゆく空が美しいですね。

本日も健やかな一日をお過ごしください。

 

 

ゆうか

 

 

 

 

 

これでいいのだ~コントロールを手放すと満たされるお話~

なぜだか、小さいころに耳にしていた、

バカボンのパパの、「これでいいのだ~」の歌が

お昼くらいから湧いているのですが

バカボンのパパは、やっぱり悟っていますね笑

 

本日は、他力がウェルビーイングの入り口であることについて

分かち合いたいと思います。

 

これまで、ウェルビーイングがテーマの

ワークショップやご相談などでたくさんの方々に

お会いすると、

色々こころの学びを深められている方々もとても多いのですが、

 

自分でコントロールできるという感覚を手放す

ことについては、信じがたかったり、受け入れることに

大きな抵抗があるなぁと感じます。

 

やっぱりここが大きな壁か、と。

 

だって、これを手放すのに人は恐怖を感じるからですね。

だから、ここで立ち止まってしまう。

 

(もちろん、私も受け入れられなかった時期がありますので、

気持ちはわかります)

 

とくに、これまで、自力でここまで頑張ってきた!

と思っている人にとっては、

「自力」が守り盾のように感じているので、

自分でなにもコントロールなどできていなかったことを

受け入れたら、

無力さを感じるんじゃないか、

悪いことが起きるんじゃないか、

落ちぶれるんじゃないか、って

ある種の恐怖に感じるかもしれません。

 

 

でも、自らコントロールなどできていないことを受け入れるから、

はじめて、起きてくる出来事も、他者も、自分自身のことも、

ぜーんぶ受け入れ、ゆるすことができるわけで。

 

これも、瞑想しているときは、実際全部観察できます。

 

どういうことかというと、自分の感情も思考も、

ただ泡ぶくみたいに、どこからか湧いては消えていく、

の連続であって、

自分が考えているわけでも、感じているわけでも

ないから。

 

なぜか、どこからともなく、湧いてきているんです。

 

同様に、

すべては連続した縁の折り重なり、相互作用の結果であって、

自分でやっていることなど、

「なにひとつ」ないのですよ。

 

ただ、すべてはその相互作用の重なりの中、

つながりの中で、

起き続けているだけなのですね。

 

だから、流れてくるものすべて、はじめてすべてを

受け入れることができるのですよ。

 

今ここに落ち着いて、真にまあるい世界を体験できるのですよ。

 

たしかに、お天気や自然を眺めていたら、

全部そのように起きているだけですよね。

 

 

でもなぜか、人間の頭だけが、

そのように認識せずに、

 

私が、あなたが、これこれの人たちがこれをやった!

みたいに考える。

 

実際には、自然の一部である私たちが、

この自然の摂理に反してできることなど

 

なにもないのですよ。

 

 

そう、ここでの分かち合いは、

こころのお話、というよりかは、

 

自然の摂理のお話で、

 

自然の摂理に抵抗せずに、自然の流れに沿って

生きれば生きるほどに

ほんとうに楽に、幸せに生きられますよ、

 

という分かち合いなんです。

 

頭で考えていることとは逆で、

それを受け入れるから、ほんとうに満たされるんです。

 

すべてに生かされている、ことがわかるからです。

 

 

最初は、バカボンのパパの

「これでいいのだ~♪」からはじまったのですが、

 

今は、最近話題になっている、

藤井風さんの「満ちてゆく」という

素晴らしい楽曲が、

よみがえってきました。

 

それでは

本日も、健やかな一日をお過ごしください。

 

 

 

ゆうか

 

一期一会

 

今日は春分の日。

いよいよ、本格的な春ですね。

春は、色々新しい物事がスタートするタイミングなので、

”一期一会”という言葉が自然と浮かんできますが、

ほんとうは、いつも”一期一会”だと思うのです。

なぜなら、常に移り変わっていて、ほんとうは「いつも新しい」から。

 

そして、”一期一会”は、幸せ・いい気分と関連しています。

 

 

いい気分でいるコツは、

いかに、「今」にいて、今目の前に”訪れた”

なぜか縁があって今出会っている人、なぜか縁があって今いる場所、

なぜか縁があって、今、起きている目の前の物事を慈しむか、

その人や物事との”一期一会”の関わりを

味わい、楽しみ、喜ぶのか、

それに尽きるのだと思います。

 

私たちはつい、頭の中で、人や出来事を固定的なイメージの中で

みてしまうけれど、

そのイメージから離れてみたら、

全ては常に移り変わって新しくなっています。

身近にいる人も、普段関わっている人も、すでに知っている人も、

そして自分自身も、

常に一期一会です。

 

このことに何か感じたら。

 

一緒に、今ここにいて、今目の前に縁があって

起きていることを、楽しみ、味わい、慈しみましょう。

 

今日も素敵な春分の一日を♪

 

ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

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