「ハート」の声に従って~創造の法則~

今日は、ふっと内なる声さんからのメッセージを、

とても短いですが、備忘録的に分かち合いたいと思います。

 

それは、「ハートの声に従え」ということ。

「頭の声」ではなくて、従うのは「ハートからくる声」です。

 

思考の声と違って、それは、わんさかわんさかと、うるさくはありません。

とても静かですが、「しっくりくる」という感覚を伴う声なき声です。

そして、なぜかよくわからないけど、それは”暖かな確信”に満ちています。

もし、表面的にはちょっぴり不安があっても、

心の底ではしっくり来ていたり、確信に満ちていたら、

その深いところからくるそれは、まさにハートの声でしょう。

 

そして、

「思考と肉体は、このハートの声を表現するためだけに使え」

と。

自我(思考・マインド)の声ではなく、全体(本質的自己)の声に従って生きる。

全体(本質的自己)を表現するために、自我(思考)を使う。

それは、まさに幸せの創造そのもの。

 

「はい、さようでございます」笑

 

まさに、このメッセージに従って生きていこう、と

改めて祈り(誓い)を立てた1日でした。

 

私もあなたも全体そのもの。それはぽかぽかした

暖かい愛そのもので、今ここの幸せそのもの。

 

この全体からのメッセージを読まれた方で、私と同じようにピンときた方がいたら、

とても嬉しく思います。

 

ではでは、今日も健やかな夜をお過ごしください♪

 

 

ゆうか

 

パラレルワールド~本当の人間関係~

 

私たち一人ひとりが、思い(思考)が作り出す世界の中を生きています。

 

思いとは、過去にこうだ、と判断し、決めつけてしまったあれこれのすべてです。

 

本来、起きることはすべて、なんの意味もありません(無)。

 

逆に言えば、無数に意味づけをすることができるし、

その意味付けは、

あるひとつの見方を採用し、それを認識しただけで、

真実ではありません。

 

 

過去の記憶に基づいて、ある特定の見方を採用し、

それを正しいとする思い込みが、

ときに私たちを苦しめるのです。

 

例えば、誰かがあなたをジャッジしたり、否定的な態度をとったとしましょう。

 

普通、あまり気分はよろしくないですね。

 

でもそれは、その人の思いの世界での表現に過ぎません。

単に、その人の世界観を表現しているだけで、

それは真実ではないし、

ましてやあなた自身(の価値)とは全く関係のないことなのです。

 

その人はいま、そう思ったし、そう感じたんだね、

というだけで、

そこにいいも悪いも、正しいも間違っているもありません。

 

 

そういう意味で、一人ひとりの世界観がすでに、

パラレルワールドです。

 

 

そして、ここからがとても大事なのですが、

あなたをジャッジしたり否定的な態度をとった

その人自身が苦しみの中にいる、

ということです。

 

なにかに困っていたり、不安や恐れや罪悪感を抱いていたり、

強烈な思い込みに苦しんでいたりします。

 

私たちにも、その人と表現の仕方の違いはあれど、

これまでの人生の中で、不安や恐れや怒りを感じたりしたことは誰にでも

あるでしょう。

その人自身も、その苦しさの中で、そのとき、

そのような表現をせざるを得なかったのです。

 

本当は、その人を含め、私たちはみんな、

優しく幸せで穏やかな気持ちでいたいものです。

愛されたいし、つながりたいし、安心したいのです。

 

ですから、その人が抱えている苦しみに気づいて、

 

「大変だったんだね、つらかったんだよね、怖かったんだよね、

どうしたらいいかわからず困っていたんだね」

 

と暖かな慈愛のまなざしを向けたとき、

 

まず、あなた自身がとても癒され、解放されます。

 

同時に、その人も癒されていく、ということが起きるでしょう。

 

なぜなら、あなたもその人も、私たちはみんなつながっていて、

根っこはひとつだからです。

 

そこに落ち着いたとき、

私たちが心の底から求めてやまない、

本当の安らぎや愛、つながりを感じることでしょう。

 

 

それでは、

今日も健やかな一日をお過ごしください♪

 

 

はなみ ゆうか

 

 

桃源郷のありかを見つけた青年のお話

ある青年がいた。

その青年が住む街は、いつも厚い霧がたちこめていて、

大体数メートル先しか見えない。

 

でも、幼いころから、ずっとそうだったので、

それが当たり前だった。

 

この世界はそんなものだろう、と思いつつも、

どこか心には雲や霧がかかっていて、

もやもやと気分は晴れなかった。

 

 

幸せってなんだろうな。

 

 

忙しく過ぎる日々の合間に、

ふとぼんやりと

厚い雲と霧がたちこめる景色を眺めながら、そんなことを思っていた。

 

小さなころから思ってきた。

この街の人たちはみな、

いま、ほんとうに心が喜ぶことよりも、

未来の幸せのために、いまを犠牲にしている。

 

そして、いつの間にか、大人になった自分も、

この社会の一員として、

自分の本心が喜ぶことよりも、

やらなきゃいけないことや、周りや社会の期待に応えることを優先し、

社会的な肩書や役割、人からの評価を気にしながら、

生きながらえている。

 

もちろん、生きていれば

楽しいことや嬉しいことも色々あるけれど、

それも一時、つかの間で

いずれ過ぎ去っていく・・

 

未来の幸せって、いつ来るのかな

本当の幸せって、なんだろうな

 

そんなある日、友人から、

「この街とは全然違う、知る人ぞ知る、隠れた桃源郷(ユートピア)がある」

という情報を耳にした。

 

でも、そこに行く途中で、

いくつもの深い森や、お化けやモンスターがいて、

それをクリアした先に、その桃源郷が現れるのだと。

 

一瞬怖いと思ったが、

青年は、この桃源郷の話をきいて、なんだか心がおどった。

久しぶりに、心の底からワクワクした。

 

 

数日後。

 

気づくと、青年はリュックひとつで旅をはじめていた。

 

でも、もちろん地図には載っていない。

グーグルマップももはやお手上げだ。

 

どこに向かったらいいのか、さっぱりわからない青年は、

途中会う人に道を尋ねたり、情報を検索しつつ、

手探りの旅を進めながら、あちこちを旅した。

 

何年もの月日が流れた。

この何年もの旅の中で、様々な人に出会い、桃源郷への道を聴き続けた。

 

全然わからない、とか、

本当にそんなところはあるのか、と訝しがられたり、

むしろ知っているなら教えてほしい、という人たちがほとんどだったが、

 

一部の人たちは、多分こっちの方向だと思うよ、

と教えてくれた。

 

たしかに、その道を進んでいくと、

霧も少し薄くなったような気がするし、

ちょっとずつ近づいているような気になることも度々あったが、

 

「これぞ桃源郷!」

 

という場所には未だ辿り着かない。

 

この道で果たして合っているのだろうか、

正直、とても不安になる。

 

こんなことをしているくらいなら、

早く戻って、以前のように、普通に生活したほうがいい気すらしてくる・・

 

それでも、途中出会う人々に道を尋ねながら、

あちこち行ったり来たりを繰り返しながら進んでいくと、

 

すでに桃源郷に行ったことがあるとか、

普段はそこに住んでいるとか、

その確実な道のりを知っている

 

という数少ないレアな人たちとも出会うようになった。

 

その人たちの話は、

世間でいわれていることや、社会通念とは180度違うので、

青年は正直、何を言っているのか、よくわからなかった。

 

でも、よくよく聴いていると、

なんだか気持ちが楽になったり、

自分の内側の深い部分がじんわりするような感覚があった。

 

そして、この

「なんだかわからないけど、楽になったり、じんわり暖かくなったりする」

 

という心の感覚が、青年にとっての唯一の羅針盤となった。

 

さらに旅を続ける過程で、

住み慣れた街を出発したころと比べたら、だいぶ霧が薄くなってきたが、

 

霧がたちこめる深い森の中に迷いこんだときは、

モンスターの声や、大きなへびのようなものが足に絡みついて転んだりと、

恐れおののいたこともあった。

 

しかし、なんの因果か、

「やっぱり桃源郷にたどり着きたい」

ただ、その思いが、どんな誘惑にも勝った。

 

そうやって旅を続け、いくつもの森を抜けるうちに、

かなり霧が薄くなってきた。

 

いまはだいぶ気分がいい・・

視界が徐々に開けてきた・・

 

まだ向こうのほうは相変わらず霧がかかっていて、

ぼんやりしかみえないが、

直感的に、この霧の向こうに、「それ」があるような気がした。

 

でも、まだ霧もたちこめているし、夜明け前で、足元は暗いので、

それ自体は見えない。

 

そして、よくこの道の先をみてみると、

そこにはなにか崖らしき影のようなものがみえる。

 

 

「そうか、あの桃源郷は、この崖の先にあるんだ」

 

そう思った瞬間、青年の足はすくんだ。

恐怖で、足ががたがたと震え出した。

 

 

崖に落ちるリスクを考えたら、あきらめて引きさがることもできる。

今なら、引き返せる。

 

でも、どうしても、あの桃源郷にたどり着きたい、

その一心で、ここまでやってきた。

 

どうすればいいの?

ぼくは本当はなにがほしいんだ?

 

 

青年は、心の内に尋ねた。

 

 

そして、このどうしようもない怖さを、暫くの間、ただ感じていた。

 

 

すると、どのくらい経っただろうか。

 

 

これまで通り、あの霧のたちこめた暗い街に戻って、

もやもやに蓋をしたまま、やり過ごす人生を過ごすくらいなら、

 

一か八か、わたってみよう!

 

と体の底から勇気が湧いてきた。

 

ようやく、心が決まった。

 

 

「もうすべて天におまかせだ、なんとでもなれ」

 

 

すると、向こうのほうから、なにやら声なき声が聴こえてくる。

 

 

「ハロー、おかえり」

 

 

静かだけど、穏やかで優しく明るい、はっきりとした声が聴こえた。

 

 

その声を聴いた瞬間、霧はすべて消え、

 

 

そこには、どこまでも続く大地と花々、雲一つない美しい青空が広がっていた。

 

まさにそこは、長年探し求めていたユートピアだった。

 

 

来た道のりを確かめようとうしろを振り返ると、

 

そこには霧がかかった森も崖も、モンスターも、もうどこにもなかった。

 

 

いまはただ、美しい景色が、ただ静かに穏やかに広がっていた。

 

 

そのとき青年は、本当は霧など存在せず、

 

生まれ育った街の霧の幻影をずっとみていただけかもしれない、と気づいた。

 

 

そして、いつまでも頭の中でつくりあげた、

その幻影ばかりをみていたから、

本当はいつでもここに、

この美しいふるさとがあったことに気づかなかっただけだったことを悟った。

 

 

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桃源郷という場所が、どこか遠くにあるのではなく、
今ここが桃源郷です。
桃源郷とは、思いの世界から離れたところの、
ただ今に永遠にありつづけるユートピアです。
青年は、実はずっとこの桃源郷の中にいたのです。
霧とは、様々な思いを指しています。
森やモンスターとは、この気づきに至る過程の中で、
自身の内と向き合わなければならない、様々な思い込みや恐れを指します。
崖は、最終的に、すべてを起きるがままにおまかせする
(サレンダーする)ことを意味しています。
今ここにずっと桃源郷はあるのですが、
過去や未来に向かう様々な思いのベール(霧)で、
桃源郷がみえなくなっているだけです。
ですから、どんな霧の中にいても、
すでに私たちはみんな桃源郷の中にいるので、みんな本当に大丈夫なのです。
でも、本当に大丈夫を感じたいし、
これに気づいて、気楽に幸せを感じながら生きたい、というのも
私達人間の心情ですね。
桃源郷はこっちだよー、桃源郷に来たら、めっちゃ気楽になるよ、
と、私自身もこれまでに経験した桃源郷や、そこに通じるこの道のりを、
桃源郷に来たい人や、道のりを探している人に
お知らせしたくて、ただ旅案内人をやっています。
これからも、この静かな感動と喜びを胸に、
桃源郷へのガイドを続けていきます。
それでは、ご旅行中の皆様は、お気をつけてお越しください!
はなみ ゆうか
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