正直・素直であるということ

最近、色々と「実はこうだった」というニュースや事件が世の中を席巻していますが、

これは、正直さ(真正)について深く見直し、

本当の正直さに全体がシフトするために起きているのだと感じています。

 

少し角度が変わりますが、この世界には、多種多様なもので溢れています。

人間だけで73億人以上もいて、一人ひとり、姿形やパーソナリティーも、唯一無二の

ものです。

他の動植物や、無機物だって、ありとあらゆる種類があって、その様態は数え切れません。

もはや、無限に存在しています。

 

そうやって、この世界は、大きなキャンバスに、様々にカラフルな色で彩られている、

美しい全体絵のようなものです。

 

同じく、私たち人間の思考や感情だって、

多種多様で、様々な思考や感情が、常に出たり入ったり

を繰り返しています。

 

私たち人間が大好きな、ポジティブな感情も、

私たちができれば避けたいと思っているネガティブな感情も、

いまそれを感じていれば、それはあるのです。

 

私たちは、誰でも、表面上の現れ方は違えども、根っこはみんな同じです。

それが私たち人間という、思考や感情を持った生き物の性質です。

どれだけ優れたようにみえる人の中にも、どちらの側面もあります。

(見せ方がうまいか、ちょっと下手か、それだけかなと思います笑)

 

だから、ネガティブと一般的によんでいる側面は、

避ける対象でも、それ自体を否定する対象でもありません。

 

それに振り回されて(これを自我と同一化している状態と呼びます)

いなければ、全く問題ではありません。

 

究極的には、本来、ポジティブやネガティブが存在しているのではなく、

それは私たちの思考が、そのように分類し解釈しているだけで、

思考や感情の中にフォーカスして入っていかなければ、

ポジティブやネガティブを超えたところの純粋な意識にコネクトしていきます。

その純粋な意識状態では、ポジティブを超えたポジティブ(分離感から

ではない、本当の喜びやとてつもない幸せの感覚)があります。

ですが、それは、ネガティブな側面を切り捨てることとは大きく異なります。

 

こういう、心とか精神世界のお話になると、

一般的に、ワクワク、楽しい、好き、心地良いなど

ポジティブで明るく、キラキラした側面がフォーカスされがちで

ネガティブな側面は切り離されがちですが、

逆に、これまで見ないふりをしたり、別のことで気をそらしたり、

押し込めてしまった様々なネガティブな側面が

どれだけあるかに気づき、認め、それもそのままに

まるごと受け入れることが、

正直であり、素直であり、ありのまま自然な状態です。

 

これが、本当に楽に、幸せに生きるうえで、

とても大事なあり方だと、改めて思います。

 

いつもきれいな見せかけを演じるほど、

本当のことからずれていきます。

 

本当のことからずれた分だけ、ストレスや苦しみが増えます。

そして、本当のつながりも、感じられなくなります。

なぜなら、本当の自分とのつながりが見えなくなってしまうからです。

 

社会的に、きれいな嘘は未だ蔓延しているけれど、

そんな見せかけや表面上のきれいな嘘は、もうやめようぜ笑。

 

(そういう意味でも、やっぱり”ミニオン”は、もうそのまんま笑。)

本当の自分とつながり、本当の安らぎや自由や愛の中で

生きたい、と願ったなら、まずは、自分のどんな心にも嘘をつかずに

真正であること。そのような内なるメッセージが、今日も聴こえてきます。

 

それでは、

今日も寒いですが、暖かくして、健やかな1日をお過ごしください。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

「見方を変えれば現実が変わる」の意味~すべては心の中~

こんにちは。

よく、見方を変えれば現実が変わる、とか、すべては心によって創られる、とか色々な表現方法が

ありますが、ここでよく起きている大きな誤解について、シェアしたいと思います。

 

この話が伝えていることというのは、

「見方を変えた暁には、起きてくる事象自体が、頭で思い描いた望み通りに変わる」とか、

「自分の思い通りに事象を変えられる」

ということではありません。

 

見方が変わると、これまでとは違った認識で起きる事象をとらえるようになる、

すべてはその認識の中だよ、それ以外にはないよ、ということです。

 

例えば、ある人のことを苦手だと思っていて、

その苦手な人が、何かのきっかけで、あまり苦手じゃなくった、とか、

むしろ好きになったとしましょう。

 

それは、その人自身が実際に変わったのではなくて、

あなたの認識が、苦手→好きに変わったから、

そのような現象に見え方が転換したんですね。

 

なぜなら、認識がすべてだからです。

 

すべては、認識だけがあるんですね。

 

これは不幸で、これはよくないこと、

と感じているのも、

そのような認識(解釈)が起きているだけで、

実際に解釈したその現象自体が真実なのではありません。

 

そしてこれは、一部のことだけがそうで、一部のことには当てはまらない、

なんてことはなく、すべてに当てはまります。

 

これを受け入れるのは、ちょっと辛いかもしれません。

 

でも、起きている現象が事実ではない、本当ではないとしたら、

気持ちはだいぶ楽になるのではないでしょうか。

 

ですので、外側の事象を問題だ!と認識して、それを改善したり

解決しようと奮闘することは、

実はエネルギーを大きく消耗するだけで、実際、根本的な解決にはいたらないのです。

 

 

このことが本当に腑に落ちると、現象自体を変えようではなく、

制限的に見ている自身の見方を見直してみよう、に100%意識が向きます。

そうやって、制限的な見方をはずしていけばいくほどに、

勝手に現実がよくなっていきます。

 

向こうから自動的に、やわらかな幸せが流れてくる感じです。

 

制限的な見方がはずれたら、あなたは本来幸せそのものだからです。

 

そして、その見方が転換するのは、ネガティブをポジティブに転換しよう、ではなくて、

二元的な物事の見方(分離の見方)を超え、

ネガもポジも、ありのままにただ受け入れて

赦(ゆる)す、暖かな慈愛の目で見ることに他なりません。

 

こういうことをお話すると、どうしても自分は物事を否定的に見てしまう、

どうしてもネガティブにとらえてしまう、という人も少なくないのですが、

そうやって否定的にネガティブにとらえてしまう、今のどんな自分のことも赦し、

受け入れることからすべては始まります。

 

それも単に、自分自身へのジャッジが今、起きているだけだから。

すべては大丈夫。私たちはみんな、本当は純粋な愛そのものだから。

 

はなみ ゆうか

 

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