これでいいのだ~コントロールを手放すと満たされるお話~

なぜだか、小さいころに耳にしていた、

バカボンのパパの、「これでいいのだ~」の歌が

お昼くらいから湧いているのですが

バカボンのパパは、やっぱり悟っていますね笑

 

本日は、他力がウェルビーイングの入り口であることについて

分かち合いたいと思います。

 

これまで、ウェルビーイングがテーマの

ワークショップやご相談などでたくさんの方々に

お会いすると、

色々こころの学びを深められている方々もとても多いのですが、

 

自分でコントロールできるという感覚を手放す

ことについては、信じがたかったり、受け入れることに

大きな抵抗があるなぁと感じます。

 

やっぱりここが大きな壁か、と。

 

だって、これを手放すのに人は恐怖を感じるからですね。

だから、ここで立ち止まってしまう。

 

(もちろん、私も受け入れられなかった時期がありますので、

気持ちはわかります)

 

とくに、これまで、自力でここまで頑張ってきた!

と思っている人にとっては、

「自力」が守り盾のように感じているので、

自分でなにもコントロールなどできていなかったことを

受け入れたら、

無力さを感じるんじゃないか、

悪いことが起きるんじゃないか、

落ちぶれるんじゃないか、って

ある種の恐怖に感じるかもしれません。

 

 

でも、自らコントロールなどできていないことを受け入れるから、

はじめて、起きてくる出来事も、他者も、自分自身のことも、

ぜーんぶ受け入れ、ゆるすことができるわけで。

 

これも、瞑想しているときは、実際全部観察できます。

 

どういうことかというと、自分の感情も思考も、

ただ泡ぶくみたいに、どこからか湧いては消えていく、

の連続であって、

自分が考えているわけでも、感じているわけでも

ないから。

 

なぜか、どこからともなく、湧いてきているんです。

 

同様に、

すべては連続した縁の折り重なり、相互作用の結果であって、

自分でやっていることなど、

「なにひとつ」ないのですよ。

 

ただ、すべてはその相互作用の重なりの中、

つながりの中で、

起き続けているだけなのですね。

 

だから、流れてくるものすべて、はじめてすべてを

受け入れることができるのですよ。

 

今ここに落ち着いて、真にまあるい世界を体験できるのですよ。

 

たしかに、お天気や自然を眺めていたら、

全部そのように起きているだけですよね。

 

 

でもなぜか、人間の頭だけが、

そのように認識せずに、

 

私が、あなたが、これこれの人たちがこれをやった!

みたいに考える。

 

実際には、自然の一部である私たちが、

この自然の摂理に反してできることなど

 

なにもないのですよ。

 

 

そう、ここでの分かち合いは、

こころのお話、というよりかは、

 

自然の摂理のお話で、

 

自然の摂理に抵抗せずに、自然の流れに沿って

生きれば生きるほどに

ほんとうに楽に、幸せに生きられますよ、

 

という分かち合いなんです。

 

頭で考えていることとは逆で、

それを受け入れるから、ほんとうに満たされるんです。

 

すべてに生かされている、ことがわかるからです。

 

 

最初は、バカボンのパパの

「これでいいのだ~♪」からはじまったのですが、

 

今は、最近話題になっている、

藤井風さんの「満ちてゆく」という

素晴らしい楽曲が、

よみがえってきました。

 

それでは

本日も、健やかな一日をお過ごしください。

 

 

 

ゆうか

 

一期一会

 

今日は春分の日。

いよいよ、本格的な春ですね。

春は、色々新しい物事がスタートするタイミングなので、

”一期一会”という言葉が自然と浮かんできますが、

ほんとうは、いつも”一期一会”だと思うのです。

なぜなら、常に移り変わっていて、ほんとうは「いつも新しい」から。

 

そして、”一期一会”は、幸せ・いい気分と関連しています。

 

 

いい気分でいるコツは、

いかに、「今」にいて、今目の前に”訪れた”

なぜか縁があって今出会っている人、なぜか縁があって今いる場所、

なぜか縁があって、今、起きている目の前の物事を慈しむか、

その人や物事との”一期一会”の関わりを

味わい、楽しみ、喜ぶのか、

それに尽きるのだと思います。

 

私たちはつい、頭の中で、人や出来事を固定的なイメージの中で

みてしまうけれど、

そのイメージから離れてみたら、

全ては常に移り変わって新しくなっています。

身近にいる人も、普段関わっている人も、すでに知っている人も、

そして自分自身も、

常に一期一会です。

 

このことに何か感じたら。

 

一緒に、今ここにいて、今目の前に縁があって

起きていることを、楽しみ、味わい、慈しみましょう。

 

今日も素敵な春分の一日を♪

 

ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

青空の眼差し

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全ての人の中に、奥にある光をいつも観たい

全ての人、現象の中に、奥にある純粋な愛をいつも観たい

 

それだけが、私たちの唯一の役割であり、ほんとうの望み

 

なぜなら、それ以上の喜びや幸せはないから

 

思考という雲で覆われた、その先のどこまでも続く

澄み渡った美しい青空を

永遠に、あり続けるその青空を

 

思考という雲を突き抜け、向こうの青空から

優しくも強く差し込んでくる、その明るい光を辿って

 

人生で起きる全てのことは、このことを経験するための

私たちに与えられた学びのレッスン

 

私たちの目の前にいる人はいつも、

その人の奥に変わらずあり続ける、

純粋でパワフルな光を私たちにみせてくれるために

現れているから

 

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祈りのワークをしていて、自ずと出てきた言葉を今日は

思いつくまま、つれづれに綴りました。

 

結局、様々な経験を通して本当にやりたいことは、

やはりこれだけだなぁ、と改めて深く感じました。

 

だって、これ以上の幸せはないもんね^^

 

これからコミュニティとしてやっていく様々なイベントでも、

ご縁のある人たちと出会い、集う中で、

この究極の学びのレッスンを、

みんなで深く分かち合えたらいいなと思いました。

 

 

言葉を紡げば紡ぐほど、この感覚から離れてしまいそうなので、

今日はこの辺りにしておきます。

 

 

それでは、本日も澄み渡った広い青空のような一日を♪

 

ゆうか

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