ありとあらゆるものが自然〜人も思考も何もかも〜

「ありとあらゆるものが自然現象で、

それが刻々と起こり続けている。」

 

瞑想を続ける中で、

そんなことを鮮烈に、明らかに感じます。

 

人間だけが、様々な出来事に対してコントロールできるとか、

人だけが自然とは異なって、特別なように感じているけれども、

それも、単なる勘違いだったことに気づきます。

 

「コントロールしているつもり」になっていただけで、

実は何もコントロールできていなかった、

(コントロールする自分はそもそもいなかった)

という感じでしょうか。

 

そもそも、この大自然の中で、なぜ人間だけが、

起きる現象をコントロールできる、と思っているのでしょう。

 

よくよく考えてみれば、

日々考えていることも、感じていることも、

日々の行動も選択も、何もコントロールできていませんよね^^;

 

例えば、もし思考や感情がコントロールできるのなら、

嫌だ、と感じているあらゆる思考も感情も、

そのコントロール力(自力)で、

何も浮かばなくなるように

できるのではないでしょうか。

 

そして、実際に、長年、どんなに努力しても

コントロールできなかった、というのが

正直な内側の感想なのではないでしょうか。

 

ある意味、これは、絶望的なメッセージに聞こえるかも

しれませんね。。

ですが、実際、そうではありません。

 

 

 

起こる思考、感情や外側の事象について、

「もっとあらゆることをコントロールできる自分になれば

幸せになれる」

という観念自体が、

すでに今の安心や幸せから遠く離れてしまっているからです。

 

だって、今の状態、今の自分を否定しているから。

 

ここでも、「幸せからの逆走」が起きています。

 

あなたは、今のままですでに大丈夫であり、

完璧な存在です。

 

「今のままでは不十分だ」、とどこかで

決めてしまった、思い込んでしまっただけで、

 

今の状態が常に、起きている「これ」しかなく、

そういう意味でいつもベストなんです。

 

 

起こる事象自体には、良い悪いとか、

上下、優劣はありませんし、

本来、ポジティブもネガティブもありません。

 

 

そこに、ただ、

自身の意味づけやイメージを通して見ているだけです。

(実際には、その意味づけやイメージも

ただ起きているだけですが)

 

 

そして、人はみんな、このことを深いところで

知っています。

 

動物や自然を見て心底癒されるのは、

動物や自然は、

この「コントロール」がない状態で

ただありのままに、自然のままに、生きているから。

 

そして、私たち人が

それを見たいと思うのは、

動物や自然を通して

それをダイレクトに感じたいという願いが

あって、

もうすでに、そのことを深いところで

知っているからです。

 

だから、何があっても、大丈夫^^

 

今、このブログを書きながら、

ふと窓越しに外を眺めると、

小鳥さんたちが、チュンチュン鳴きながら

近くにやってきました。

 

可愛い、無条件に癒されます^^

 

 

あと、今、家に可愛いお花たちも咲いていますが、

花たちも、

「私の方が綺麗でしょ」と競ったり、

「あなたのような花になりたい、だから頑張る!」

「頑張って、日陰の外から出る!」

などとは

言っていないと思います笑

 

ただ、自然のまま、咲いているだけ。

 

私たちはそこに、

本来の心地よさや安らぎ、慈しみを感じているのかもしれません。

 

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