ダイバーシティとほんとうの自立

ダイバーシティが盛んに言われる時代になっていて、

一人ひとりを尊重しようという社会的ムーブメントが

これまでないくらい、盛り上がっています。

 

これはとても素晴らしい動きだと思いますし、

まさに時代が大きく変化していく象徴的な事象で

あるように感じます。

 

ですが、大きな変化の本丸は、

やはり一人ひとりの意識の変革であって、

そのうえに、ダイバーシティが目指す

本当の調和の世界が広がるのだと思います。

 

今日は、ダイバーシティに必要不可欠となる

私たち一人ひとりの「本当の自立」について、

禅的な見地も絡めながら、ある小話を書いてみました。

 

では、はじまりはじまり〜^^(紙芝居風?)

================

ある広大な大地。森を抜けると

どこまでも遠くまで見渡せる

この大自然の大地には、これまでみたこともないくらい

いろとりどりの美しく可愛らしい花たちが

其々にのびのびと咲き誇っている。

 

花たちは、

この素晴らしい花畑に訪れる鳥や虫たちを

いつでも暖かく優しく受け入れ、歓迎しているようだ。

 

私はこの景色を見るのが大好きで

いつもの仕事を終えると

この色とりどりの美しい花たちに会いにくるのが

いつしか日課になっていた。

 

ある日も、いつもの仕事を終え、

心の束の間のオアシスを求めて

この美しい花たちに会いに訪れた。

 

今日は、とある大きな案件でトラブルがあって

特に疲弊していた。

この案件が成功すれば、

あの憧れのA氏のように、この世に名前を残す

人物になれるかもしれない・・

私はこのために、これまで様々な努力をし、

ある時は寝る暇も惜しんで、

頑張ってきた。

色々な勉強もして、大抵のことはこなせるし、

周囲からの信頼も得てきたつもりだ。

だから、なんとしても、この案件は成功させたい・・

A氏のような、大きな成功を何度もおさめ、

社会的名声や地位を確立すること、

多くの人から認められること、

それは、私の長年の夢であり、

ようやくあと一歩のところまでやってきたのだ・・

 

そんな声が頭の中をぐるぐると巡る。

強いプレッシャーの中、

焦りと不安とが入り乱れる、

ヒリヒリとしたような感覚が続く。

 

一瞬でもいいから、そんなプレッシャーから

離れ、

この苦しい感覚を少しでも和らげたくて、

今日も花たちに会いにきたのだった。

 

ふと、立ち止まって足元を見ると、

一つの小さな花が、こちらを向いているように見えた。

 

私はゆっくりしゃがみ、その花に向かって、

さっき頭の中でぐるぐる考えては

不安と孤独、焦りに押しつぶされそうになっていた

ことを、小さな声で、正直に打ち明けた。

 

すると、しばらくして、

「あなたのままで、大丈夫だよ」

 

とても可愛らしいが、

これまでに聞いた事のないくらい、

確信に満ちた、はっきりとした声が聴こえた。

 

「ん?なんて?」

 

可愛いけど、とても核心をついたことを言う

花だ、と直感的にわかった私は、

その花としばらく対話をすることにした。

 

すると、その花は、聞けば聞くほど、

あるがままの真実を伝えてくれた。

なぜなら花は、いつだってただありのままの真実を

生きているから。

 

「例えば、この世界には、たくさんの人、たくさんの生き物

がいるけれど、一つとして同じ現れは存在していないよね。

 

もともと、持って生まれた素質みたいなものはみんな違うんだ。

でも、その違いを活かし合いながら、相互に協調し合うことで、

全体が絶妙な調和で成り立っているのだから、

誰か他の人を目指す必要もないし、

そもそもそんなことは土台無理な話なんだよね。

 

だけど、人間たちは、

頭の中のイメージでしかない、

一定の社会的な基準(こうあるべき、これには価値があってこれにはない、こうなれば幸せになれるetc)を絶対的なもののように思い込み、

その基準に向かって

自分のもともと持っている素質を消したり修正しようと

一生懸命に試み、努力している。

 

例えば、花の世界でも、様々な種類の花がいて、

同じ種類の花でも形は全部違っているけれど、

バラはバラでしか生きられないし、

かすみ草はかすみ草でしか生きられない。

 

例えば花に人間のような思考があったとして、

花界の中で、赤い花が優れている、というありもしない

基準を作ったとしたら、

赤い花ではない花たちは、なんとかこぞってみんな赤く

なろうなろう、とするに等しい。

赤い花になろうとしたって、白やピンクやブルーなど

赤以外の花は、絶対に赤い花にはなれない。

そんなことは本来、土台無理な話なのに、

私にはできない、無力だ、と嘆いている。

それが人間の社会で行われていることなんだ。

 

でも、それぞれの花が、それぞれの花として

生きるからこそ、パズルのピースが全て揃うように

全体として、こんなにも美しく可愛らしく

調和して咲き誇っているのさ。

もし、みんな赤の花だけだったら、気持ち悪くないか。

あなたも、赤い花だらけの花畑をみていても、

全然美しいとか、心地よいと思わないだろうし、

この景色に感動したり、

この景色を楽しみたいなんて、思わないだろう。

 

人間も同様に、

全体から切り離され、単独で存在などできないし、

 

もしあなたがいなければ、全体の中のパズルのピースが

揃わないのと同じで、

この世界はそもそも成り立たないのだよ。

 

もともと持って生まれた素質は

決して消せないし修正もできない。

そもそも修正する必要など微塵もなく、

そのそれぞれの素質を活かすことが

本当の意味で、全体への貢献につながるのだよ。

 

だから、他の憧れの誰かを目指すのではなくて、

あなたは、どこまでもあなたでいること、

どこまでもあなたのままでOKだっていうこと、

いつしか見失ってしまった、あなた本来の姿を思い出す

ことが、

本当の意味で、全体調和と一人ひとりの幸せに貢献するんだ。

 

 

「だから、あなたは、Aさんを目指すんじゃなくって、

この世にたった一人しかいない、あなた自身を目指してね」

 

気づくと私は、本当に心地よく、

暖かい安心と充足感に包まれていた。

これまでに感じたことのない、心から満たされた感覚。

 

理想の誰かや何かを目指す必要もなく、

自分は自分でよかったんだ、という気づき。

 

同時に、私は成功というものを通して、

この感覚が欲しかっただけなんだ、ということに気づき、

心からの安堵に、涙が止まらなかった。

 

 

私は、一つの可愛らしくも逞しい

この花の真実の話を反芻し一つひとつ噛み締めながら、

ゆっくりと家路についた。

===================

 

私たち一人ひとりが、

理想の誰かを目指すのではなくて、

本来の自分らしさを思い出し、

それを十二分に活かして生きるとき、

一人ひとりが本当に幸せな社会が実現します。

 

日本は特に、「和」を重んじる国です。

「和」とは、同調(みんな同じを目指すこと)ではなく、

調和(みんな違うけれど、その違いを活かしあって全体が調和する)の和です。

 

現代の教育では、「同調」が強調されていたため、

私たちは長らくこの本来のありようのところの

「調和」を忘れてしまっていましたが、

大変化の時代の今こそ、

このことを深く思い出すタイミングがやってきたように

思います。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP