心の内なる旅の楽しみかた

あなたは旅が好きですか。

もしくは、ドライブが好き、という人も多いかもしれません。

 

私は運転は、ほぼペーパードライバーなのですが^^;

旅は昔から好きで、

国内外問わず、

好奇心に任せてこれまで色々なところに行きました。

 

今日は、そんな旅と心の世界を絡めての小話。

心の内なる探究は、旅とよく似ているなぁ、と

思うからです。

 

なぜなら、これまで気づかなかったことに気づくと、

新しい世界が開けてくるから。

 

そして、さらに奥に進んでいくと、

その扉の向こうに、どんどん新たな世界が見えてきます。

 

 

旅と違うのは、

まだ知らない未知の場所に辿り着くのでも、

何か新しいものを発見するでもなく、

 

いる場所は同じ、というところ。

そして、「すでにあった」ことに気づいていく、

というところが、通常の旅とは大きく異なります。

 

 

でも、気づきという扉を開く前と後では、

捉え方が全く変わっているので、

同じ場所にいても、全く違って見えます。

 

しかも、徐々に、起こる現象自体も変わるから

(突如として変わってしまうケースもまれにありますが)、

面白いですね。

 

 

そして、世の中に数多く存在する心のワークというのは、

内側の旅を深めていくことに他なりません。

 

 

ここで、心のワークを紹介する講演、ワークショップ

を務める講師やファシリテーターは、

そこに参加される旅人1人ひとりの、

単なる「ツアーガイド」にすぎません。

 

もしくは、運転好きの方には

カーナビさん、というのがしっくり来るかも

しれませんね。

 

決して、「先生」と呼ばれるような偉い人でも

強者でも、特別な存在でもありません。

弱い者を助けるヒーローでもありません。超フツーです笑。

そもそも本来、

救いも、強さも、全て一人ひとりの中にありますから、

助けるものも助けられるものもありません。

誰もが全て、完璧です。

(この、すでに完璧だったことに気づくことが

内なる旅の醍醐味です)

 

ただ、旅の途中、

ツアーにご参加されている旅人さんが、

道すがら、方向がわからなくなってしまったり、

途中で迷子になってしまったりしたら、

ガイドさんは

旗を振って、こっちですよーって

声をかけると思います。

 

見知らぬ土地にいくときは

ガイドさんがいるとスムーズに旅ができるし、

安心ですね。

 

暗い場所は特に、灯りの方向に進んでいく

ことが大事です。

 

内なる旅のツアーガイドも、全く同様の役割です。

 

そして、内なる旅の体験自体は、旅人1人ひとりがします。

旅の味わいも楽しみ方も、旅人それぞれですし、完全に自由です。

 

内なる旅のガイドは

「こんなに素敵なところなんですよー、ここは。

とってもおすすめなんです!ぜひ自由に楽しんで

いってください^^」という感じで、

なんら普通の旅と変わらない、

現地おすすめ!のご紹介に近いです笑。

 

ガイドは、これまでたくさんの旅の経験をしてきた中で、

この素敵な場所をもっと

シェアしたいと思っているし、

この素晴らしさをみんなと分かち合いたい、

と心から思っていて、

そのシェア自体を楽しみ喜んでいる、といった

感じでしょうか。

 

最近、ワークショップを開催していて、

改めてこんなことをふと、思いましたので、

シェアさせていただきました。

 

散文、つらつらとお許しください^^;

 

また、6月、7月に定期開催しているウェルビーイング・ワークショップにてお会いできる、ご縁のある皆様と一緒に、

引き続き、奥深い、素晴らしい旅の体験を楽しみたいと思います^^

 

それでは本日も、ウェルビーイングな1日をお過ごしください。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

 

何者でもない、本当の自分に還ろう

先日、学生時代の友人と久しぶりに再会。

 

みんなそれぞれ大人になり、それぞれの人生があるけど、

話しているうちに、学生時代に戻ったような気分になり、

 

「あぁ、みんなの元々のキャラって変わらないな〜」

 

となんだかホッとする気持ちと、嬉しい、楽しい、面白い、

という気持ちが混在したのでした。

 

私たちは、

社会の肩書きや役割、それらをいったん全部脱ぎ捨てて、

素の状態に戻ったときに、

最もリラックスするし、純粋に楽しいし、心地よく幸せな気持ちを

感じます。

それぞれに被っていた社会的な仮面をいったん脱ぎ捨てて、

素に戻ると、それぞれの個性が際立つのがまた面白いですね。

 

なぜ多くの人たちが、

会社や学校、家庭、その他様々なコミュニティの中で窮屈さを感じ、ストレスを感じるのだろうと思いを馳せるとき、

 

実は頭の中でのイメージでしかない

「社会の中でのこうあるべき」像に囚われてしまい、

その像と本来の自分とのギャップが大きければ大きいほど、

その被っている仮面にギューっと窮屈を感じる

ようにできていると思うんですね。

 

「幸せ」というものにすら

社会用の「あるべき理想」を知らずのうちに掲げてしまい、

そういった「あるべき幸せ」を追い求めるとき、とっても窮屈だし、息苦しい…

 

そう感じている人も多いんじゃないでしょうか。

 

社会用の「あるべき理想」とは、たとえば、

成功しなきゃ、認められなきゃ、優秀にならなきゃ、いいパートナーを見つけなきゃ、いい夫、いい妻でいなきゃ、いい子に育てなきゃ、人から好かれなきゃ、稼がなきゃ、健康でいなきゃ、

などですが、

 

まるで何かを掴まないと、今のままじゃだめだと

常に自分を裁いているようなもの。

 

誰が決めたんだかわからないその理想像のために

常に自分を酷使していたら、そりゃ疲れてしまいます。

 

でも、そんな理想像を追いかけるのをやめて、

飾らず素の状態でいるときが、

実はいちばんピュアな魅力に溢れ、なにより健全で幸せ

なんじゃないでしょうか。

 

たとえば

動物の愛らしさや、自然を美しいと無条件に感じるのは、

それらがただ素で生きていて、作為がないから。

 

そして、

自分に理想を求めないと、他者にも理想の姿を求めなくなり、

人間関係もとってもラクに楽しいものになります。

 

自分にも相手にも、ありのままを許したときに、

本当の意味で自由になるのですね。

 

いまにない理想を追い求めるのは、

無意識的に、

いまではまだ足りない、いまじゃだめだと思っているからです。

 

でもそれは大いなる勘違い!

 

だって、

何者でもない、そのまんまのあなたが素晴らしいのだから。

ただ、存在しているだけで、素晴らしいんです。

だって、あなたが存在しなければ、

この絶対的バランスで成り立っている自然(宇宙)は、

消滅してしまうのだから。

この世のありとあらゆるすべては

すでに完璧なバランスで成り立っていて、

毎瞬これしかないんです。

 

逆説的だけど、

幸せを追い求めるのをやめるとき、本当の幸せが訪れます。

自然の流れと同じように、人生も大いなる流れに身を任せ、

目の前に来たものの中に幸せをみつけるとき、

本当の意味での深い安らぎや愛を感じるでしょう。

 

さぁ、いったん仮面を脱いで、解き放って、素に戻ろう!

 

還れる場所(本当の自分)がわかると、

また日常の社会的な暮らしの中で必要性にせまられて

仮面を被っても

内側はとても楽だし、いつも穏やかな安心の中に

居られるようになります。

 

そのために、

まずは自分の内側をじっくり見つめ、

「このままじゃだめだ」「こうしなきゃ、ああしなきゃ」という思いをひとつひとつ丁寧に調べて、

それが認識できたら、

その認識を溶かしてしまいましょう。

 

やり方は色々ありますが、

また瞑想会やワークショップなどで順次お伝えしていきたいと思います。

 

今日は、東京は美しい春の青空が広がっています。

桜はもうそろそろ終わりですが、

週末はそんな名残惜しい桜並木をゆっくりお散歩してみようと

思います。

 

 

それでは本日も、ウェルビーイングな1日をお過ごしください^^

 

はなみ ゆうか

 

 

もうすでに大丈夫〜大安心の世界〜

こんにちは。

しばらくこちらでの投稿をサボっていたのですが(他のSNSにブログ投稿)、やっぱり自身でのブログサイトでの投稿にしようと思い立ち、こちらにて再開したいと思います。

 

過去の投稿にコメントいただいた皆様、

たくさんの素敵なコメントをいただきまして、本当にありがとうございます。

 

読ませていただき、私自身、とても幸せな気持ちになりました^^

 

前回こちらでの最後のブログ投稿以降、

何度となく大きな気づきの体験があり、

その体験も含め、今後は改めてこちらで、

色々な形でシェアできればと思っています。

 

そこで今回は、一番大きな気づきについて

シェアしたいと思います。

 

その気づきとは、

私たちは誰一人例外なく、

「ただ在る」この存在自体がとてつもなく素晴らしく、

愛そのものだ

ということです。

 

これは感覚的な気づきであり、

言葉で説明するのがとても難しいのですが、

 

いまどんな状況に置かれていたとしても、

どんな悩みを抱えていたとしても、

どんなに苦しい体験をしていたとしても、

 

私たちが現実だ、人生だ、と認識している「それ」は、

夢の世界での出来事であり、

一人ひとりがそれぞれに固有のバーチャルリアリティの世界を

一時の休みもなく、ただひたすら観ているようなものだから、

安心して大丈夫なんだよ、ということ。

 

ん?と思ったそこのあなた笑。

 

ここで、一旦、自分のいま観ている世界が

完全なる、かつ超リアルなVRの世界だと思って、

あたりを見渡してみましょう。

何かを考えたり感じている自分も

全てVRの世界の登場人物として起きていることだと

想像してみてください。

 

そこには、様々なストーリーが常に止まることなく

展開しています。

 

それは、彼との恋愛ドラマかもしれないし、

仕事での成功と失敗のドラマかもしれないし、

健康を害するドラマかもしれません。

(それはあなた固有のもので、人それぞれにストーリーの内容は違います)

 

それが恋愛ドラマだろうと、ヒューマンドラマだろうと、

サスペンスだろうと、ホラーだろうと、

それを観ている自分は、

ただそのバーチャルの世界を

ただゆっくり観ているだけで

何も起こっていませんね。

 

この観賞している自分は、

怖いことも何も起きていないから、

ただ安心してVR世界を観ていられると思います。

 

そして、実際に、私たちが現実だ、人生だ、

と呼んでいるものは、

例外なくこれです(衝撃的かもしれませんが・・)。

 

こちらの最後のブログでも、

視点ずらしの話をご紹介していますが、

この、ただ観賞している自分の視点で

世界を眺める時はいつでも、

白黒などのジャッジがないため、

ネガティブな感覚というのは消えてなくなり、

ただ大きな安心の中、愛の感覚の中にいます。

 

そしてこれこそが、私たちが常に求めてやまない、

揺るぎない幸せの感覚です。

 

 

私たちが何か嫌だと感じるような体験をしている時というのは、

それを嫌だ、と思考するVRの世界にグーっと

フォーカスしているだけであり、

 

その世界から離れたければ、

(VRの世界を変えようとするのではなく)

その「フォーカスから離れて」、

ただそれを観ている自分を思い出すことだけ。

 

そして、

このフォーカスから離れて、

ただ出来事を観賞している視点(愛・安心の視点)に戻るには

一旦思考をストップして、

「起きている事象に、なんの意味もない」

とこの世界を眺めてみることがとても有効です。

 

と同時に、

瞑想もとてもおすすめです。

 

私は以前より定期的に瞑想を実践していますが、

瞑想と言っても色々あるので、

ご自身に合った瞑想を日々の生活に取り入れられると

良いと思います。

(色々な瞑想法がYouTubeや本などでも紹介されていると思いますので)

 

もちろん瞑想だけではなく、

私たちの日々の暮らしの中に、そのヒントはたくさん隠れています。

 

というわけで、このブログでは、

「本当の幸せ」を体感していくための

ヒントやきっかけづくり、ツールなどなどを

今後、色々な形でご紹介できたらと思いますので、

ご興味ありましたら

ぜひ引き続きお楽しみください。

 

今日の東京は、雪が降り続いていますが、

時々コーヒーでも片手に手も頭も休めつつ、

ウェルビーイングなひとときをお過ごしください。

 

 

 

 

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