何者でもない、本当の自分に還ろう

先日、学生時代の友人と久しぶりに再会。

 

みんなそれぞれ大人になり、それぞれの人生があるけど、

話しているうちに、学生時代に戻ったような気分になり、

 

「あぁ、みんなの元々のキャラって変わらないな〜」

 

となんだかホッとする気持ちと、嬉しい、楽しい、面白い、

という気持ちが混在したのでした。

 

私たちは、

社会の肩書きや役割、それらをいったん全部脱ぎ捨てて、

素の状態に戻ったときに、

最もリラックスするし、純粋に楽しいし、心地よく幸せな気持ちを

感じます。

それぞれに被っていた社会的な仮面をいったん脱ぎ捨てて、

素に戻ると、それぞれの個性が際立つのがまた面白いですね。

 

なぜ多くの人たちが、

会社や学校、家庭、その他様々なコミュニティの中で窮屈さを感じ、ストレスを感じるのだろうと思いを馳せるとき、

 

実は頭の中でのイメージでしかない

「社会の中でのこうあるべき」像に囚われてしまい、

その像と本来の自分とのギャップが大きければ大きいほど、

その被っている仮面にギューっと窮屈を感じる

ようにできていると思うんですね。

 

「幸せ」というものにすら

社会用の「あるべき理想」を知らずのうちに掲げてしまい、

そういった「あるべき幸せ」を追い求めるとき、とっても窮屈だし、息苦しい…

 

そう感じている人も多いんじゃないでしょうか。

 

社会用の「あるべき理想」とは、たとえば、

成功しなきゃ、認められなきゃ、優秀にならなきゃ、いいパートナーを見つけなきゃ、いい夫、いい妻でいなきゃ、いい子に育てなきゃ、人から好かれなきゃ、稼がなきゃ、健康でいなきゃ、

などですが、

 

まるで何かを掴まないと、今のままじゃだめだと

常に自分を裁いているようなもの。

 

誰が決めたんだかわからないその理想像のために

常に自分を酷使していたら、そりゃ疲れてしまいます。

 

でも、そんな理想像を追いかけるのをやめて、

飾らず素の状態でいるときが、

実はいちばんピュアな魅力に溢れ、なにより健全で幸せ

なんじゃないでしょうか。

 

たとえば

動物の愛らしさや、自然を美しいと無条件に感じるのは、

それらがただ素で生きていて、作為がないから。

 

そして、

自分に理想を求めないと、他者にも理想の姿を求めなくなり、

人間関係もとってもラクに楽しいものになります。

 

自分にも相手にも、ありのままを許したときに、

本当の意味で自由になるのですね。

 

いまにない理想を追い求めるのは、

無意識的に、

いまではまだ足りない、いまじゃだめだと思っているからです。

 

でもそれは大いなる勘違い!

 

だって、

何者でもない、そのまんまのあなたが素晴らしいのだから。

ただ、存在しているだけで、素晴らしいんです。

だって、あなたが存在しなければ、

この絶対的バランスで成り立っている自然(宇宙)は、

消滅してしまうのだから。

この世のありとあらゆるすべては

すでに完璧なバランスで成り立っていて、

毎瞬これしかないんです。

 

逆説的だけど、

幸せを追い求めるのをやめるとき、本当の幸せが訪れます。

自然の流れと同じように、人生も大いなる流れに身を任せ、

目の前に来たものの中に幸せをみつけるとき、

本当の意味での深い安らぎや愛を感じるでしょう。

 

さぁ、いったん仮面を脱いで、解き放って、素に戻ろう!

 

還れる場所(本当の自分)がわかると、

また日常の社会的な暮らしの中で必要性にせまられて

仮面を被っても

内側はとても楽だし、いつも穏やかな安心の中に

居られるようになります。

 

そのために、

まずは自分の内側をじっくり見つめ、

「このままじゃだめだ」「こうしなきゃ、ああしなきゃ」という思いをひとつひとつ丁寧に調べて、

それが認識できたら、

その認識を溶かしてしまいましょう。

 

やり方は色々ありますが、

また瞑想会やワークショップなどで順次お伝えしていきたいと思います。

 

今日は、東京は美しい春の青空が広がっています。

桜はもうそろそろ終わりですが、

週末はそんな名残惜しい桜並木をゆっくりお散歩してみようと

思います。

 

 

それでは本日も、ウェルビーイングな1日をお過ごしください^^

 

はなみ ゆうか

 

 

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