嘘のつけない本音の時代へ

有名な、ある嘘つきの童話のお話です。

 

昔々、青々と茂る野原に、少年が寝そべっていました。

少年は羊飼い。

毎日牧草を食べる羊の番をしています。

 

「退屈だな・・」

毎日同じことの繰り返しで、飽きていた少年は、

もっと面白いことがあったらいいのに、と思っていました。

「そうだ!」

羊飼いはいいことを思いつき、むくりと起き上がって、

「オオカミがきたぞ!」と大きな声で叫びました。

 

すると村人は、家から飛び出してきて、

「オオカミはどこだ」と尋ねます。

 

その慌てた顔が面白くて、次の日も

「オオカミがきたぞ」と叫びましたが、

次第に村人たちは、オオカミがいないこと、

少年が嘘をついていることがわかると、

そのうち、誰一人、出て来なくなりました。

 

そして、ある日、本当にオオカミが出た時、

少年は大声で叫びましたが、

少年がまたホラを吹いていると思っている村人たちは、

誰も助けに来てくれません。

 

結局、オオカミは羊を残らず食べてしまい、

「もう嘘なんかつかないよ」と

 

少年は心に誓ったのでした。

 

この話は、ちゃんちゃん。ここで終わります。

 

 

子どもたちに、嘘をついてはいけないよ、

ということを教えるための逸話として

とても有名なお話ですね。

知らない人はほとんどいないでしょう。

 

 

幼く純粋な子どもの頃の私たちの多くは、

この言葉を真摯に受け止め、

できるだけ嘘をつかないようにし、

 

大人になってからも、

誰かに怒られることや否定・非難されそうなこと、

他者から受け入れられない、と感じる事柄については、

他者に嘘をついて、自らの内に隠したり、

時には外部に反発するなどして、

対処してきました。

そんなときは同時に、

罪悪感も感じるかもしれません。

 

 

一方、大人の世界(社会)はどうでしょう。

よくよく見ると、

「建前と本音」が分かれた世界、ではないですか。

 

「あれ、嘘はダメって言っていたのに」

 

 

というか、「綺麗な建前」で塗り固められた世界、と言ったほうが

言い得ているかもしれません。

 

「建前」といえば表現は柔らかいですが、

それは本音と対極にあるので、

はっきりいえば、「嘘」の世界ですね。

 

複数の人が集まれば、みんなそれぞれに思いが違うので、

バラバラにならないように

みんなで秩序を保って、なんとか上手くやっていこう、

という現れでできているのが「建前」。

だから、「綺麗な建前」笑。

そして、その中を私たちは懸命に、健気に生きています。

 

そして、

「建前」という名のもと、

社会を上手くコントロールして秩序を保つための、

さまざまな「ルール」「常識」が

「真実の顔のふりをして」

でんと構えています。

 

 

でも、そこには残念ながら、「本当」はないですね。

だって、一人ひとりの本音を隠した、

大人の綺麗な顔をした嘘ですから。

だから、社会にいくら「真実」を探しても、

何も見つからないでしょう。

 

建前も、ルールも、常識も、

それ自体が悪ではなく、

そういうのもあるよね、と

それに振り回されなければ良いのですが、

 

それによってさまざまな不自由さや窮屈さを感じたり、

ストレスやフラストレーションを抱えて

苦しんでいる人が本当に多いのも事実です。

 

ですが、そのような建前(嘘)の世界の中で

苦しむ必要は全くないよ、ということを

ここではお伝えしたいんです。

 

ここで、とても大事なこと。

この建前ワールドの中では、

自らの「本音」に対して、大きな嘘をついている、ということ。

本当の自分の思い、は見ないふりをして蓋をしている、

ということです。

 

そして、

建前と本音は必ずどこかでズレているので、

(だから建前は存在できます)、

そのズレが積み重なれば積み重なるほど、

ストレスに感じます。

 

そのズレ自体に、

「こんな自分はダメだ」と罪悪感を感じることもあるでしょう。

 

また、それを感じるのが嫌なので、

自らの本音はとにかく無視し、

社会に合わせることを最優先し、

社会の価値観と自らの思いが同化している人も多いことでしょう。

特に日本はこれが顕著なように思います。

 

本音に蓋をし、聴かないようにしていった結果、

自らの本当の気持ちがわからなくなります。

 

でも、その本音はただ心の奥底に隠れていて、

聴いてほしい、って叫んでいるので、

本音を隠せば隠すほどに心は重たくなっていきます。

 

本当はどうしたいのか、がわからない・・

何がしたいのか、わからない・・

相談される方から実によくいただく声のひとつです。

 

 

それが膨れ上がると、心がパンパンに対処しきれなくなって、

悲鳴をあげてしまいます。

 

 

一方で、「内なる心の声(本音)」を聴くことは

ダイレクトに愛につながっていく道です。

 

まずは、あなたの内なるその本音を、

あなた自身がただ聴いてあげるだけで、

かなり楽になっていきます。

 

そして、その本音を「出し切ったら」、

かなりスッキリするはずです。

気分だけでなく、頭もスッキリ、

視界もクリアに見えるかもしれません。

(これはできれば他人に対してではなく、紙に書き出すなどして、自分でやって見ることをお勧めしますし、安全なやり方のワークショップもやっていますので、ご興味あればご参加ください)

 

「そんなことしたら、

この世界の秩序が保てなくなるじゃないか」と恐れる人が

いるかもしれませんが、

 

一人ひとりが、自らの本音を大切にして、

気分よく、心地よく、幸せに過ごしていたら、

無理なく、自然と、調和の方向に向かいます。

 

 

気分がよかったら、周りに対して自然とオープンになり、

優しくなれることは

人間誰しも経験していることですね。

 

そんなとき、あなたの周りの人も、そんな気分の良い

あなたに同調して、次第に心地よく

優しい気分になることでしょう。

 

これこそが、真の調和の世界です。

 

現在、社会の至る所で、これまでにないくらい

さまざまな問題と言われることが世に明るみになったり、

これほどまでにメンタルヘルスが話題になったり、

これまでのルールや秩序では、対処できなくなっているのは、

「本当のこと」「人々の本音」がどんどん表に出てきているからでしょう。

 

それは、美しい建前で塗り固められた嘘の世界から、

本音を生きる、愛の世界へシフトし始めているからかもしれません。

 

本当のことを生きたい、

自分に嘘をつかずに生きたい、

本当の愛を生きたいし、

ありのまま、自然体で生きたいし、

建前や体裁ではなく、

本音と真実に沿った生き方をしたい

 

 

約10年前、私が感じていたことを

率直に書いたメモに、そのようなことが書いてありました。

今も変わらずそのように思っていますし、

実際、そのように生きています。

 

 

もし、同じように感じている、もしくは感じ始めたあなたは、

とても芯が強く、勇敢です笑。

 

そして、本当の幸せを生きている、

もしくは生き始めたのではないでしょうか。

 

本音を生きるととっても楽に。

もっと楽になっていいよ。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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