「前提」見直しのススメ〜「忙しさ」の本当の理由〜

仕事、家事、育児、介護、家族、友人知人、地域コミュニティとのお付き合い・・

 

「毎日忙しくて大変」

「ただ忙しく日々が過ぎていくだけ」

「自分の時間がほとんど持てない」

「何もかもが中途半端で焦りを感じる」

 

周囲でもよく、そんな声を聴きますし、

実際ご相談いただくこともかなり多いケースです。

 

特に多くの日本人は勤勉だし、真面目なので、

自分の健康を害してでも、

自己犠牲的に頑張ってしまう人も多いですね。

 

そもそもなぜ、こんなに忙しくなってしまうんでしょう。

そこには、他人の目が絡んでいるケースが

とても多いです。

 

例えば、

「みんなより頑張っていることで受け入れられる」

とか

「頑張っているから社会から認められる」

 

ということが無意識的に動機になっていることも

かなり多くあります。

 

だから、暇だと落ち着かない・・笑

 

ちょっと耳が痛いかもしれませんが、

そういう意味で、

忙しさを自ら引き寄せているのかもしれません。

 

さっき言った、

「頑張っていることでみんなから認められる、受け入れられる」

という信念があれば、

忙しさを確実に自身に引き寄せます。

 

なぜなら、心の奥底で、

「ゆとりがあっちゃいけない」

「暇じゃいけない」と思っているので、

無意識的に、そのように行動したり、

周りの人にも、多くの仕事を引き受けていいよ、と

自分でも知らずのうちに表現をしているから。

 

でも、自身の心は疲弊しているので、

もっと楽になりたい、とも思っているわけです。

 

ここで、その忙しさは、本当にあなたにとって必要なことですか。

 

忙しさから解放されて、心から楽になりたい、と感じているなら、

まずは、忙しさの「前提」をチェックしてみるのおすすめします。

 

大抵の場合は、忙しさの「前提」をチェックしていくと、

それは自らの喜びからではなく、

恐れから来ていることがほとんどです。

 

さっきみたいに、

「忙しくしていないと、みんなから受け入れられない、

認められない、怒られるのではないか、

もっと多くの仕事を人から与えられるのではないか・・」

などですね。

 

また、「忙しいのは社会的にちゃんと役割を果たしている

証拠」「ちゃんとやってるから偉いでしょ」

と正当化してしまって、

忙しさのループから抜けられない・・

そんなこともよくあります。

 

いずれも気持ちはよくわかります。

以前の私もそうだったから。

 

でも、残念ながら、

それではあなたの本当の願いは叶わない・・

 

 

誰しもが人生や日々の暮らしの中で

本当に欲しいのは、

 

「幸せを感じること」ですよね。

 

心地よさや喜び、自由、愛、安らぎを感じることのはずです。

 

 

ですから、まずは、自らの行動が、

どんな思い・動機からきているのか、を

一度、正直に検証して、

「忙しさの行動の前提」を確認してみましょう。

 

どんな基準で、自らがその行動を選択しているのか、

を徹底的に確認してみましょう。

 

そして、自らを忙しくしている事柄が、

今のあなたにとって、

喜びに沿ったものでなければ、

一つひとつ、できるものから断捨離がおすすめです。

 

 

 

行動の奥にある動機の部分(行動の基準)を

こうすべきだ、とか、

こうしないと人からこう思われるんじゃないか、

という不安や恐れ、他者基準からではなく、

 

自らの心が喜ぶことを基準に、

自らが選ぶという意識で生活してみると、

生活にちょっとした喜びやワクワクを

感じることが多くなり、楽しくなってきます。

 

 

また、基本、あまり忙しくなくなります。

人生で本当に必要なこと・大切なことなんて、

そんなに多くないことが見えてくるからです。

 

 

もちろん、一気にやることは減らないかもしれません。

でも、日々やることが多かったとしても、

心にはゆとりがあって、

あまり忙しいと感じなくなります。

なぜなら、そのやることは義務感からでも恐れからでもなく、

「喜び」前提でやっているから。

 

 

この前提・基準(あり方)が、自己基準、喜び基準にシフトしていくことは、

超基本的なスタンスだけど、

とっても大事なウェルビーイングの基本であり、第一歩です。

 

何かピンときたものがあれば、

 

ぜひ、まずは「前提」の見直しをおススメします。

 

ノートとペンを持って、

ぜひ自身と向き合ってみてください。

 

もし、今はそんなの無理だ・・

できない・・と思ったあなたも、

それはそれで大丈夫。

 

今はその「できないと感じる流れ」の中にいるかもしれないけど、

その流れは永遠に続かないから。

あなたがピンときた時が、その時です。

 

 

それでは本日も、ウェルビーイングな1日をお過ごしください^^

 

 

 

 

 

嘘のつけない本音の時代へ

有名な、ある嘘つきの童話のお話です。

 

昔々、青々と茂る野原に、少年が寝そべっていました。

少年は羊飼い。

毎日牧草を食べる羊の番をしています。

 

「退屈だな・・」

毎日同じことの繰り返しで、飽きていた少年は、

もっと面白いことがあったらいいのに、と思っていました。

「そうだ!」

羊飼いはいいことを思いつき、むくりと起き上がって、

「オオカミがきたぞ!」と大きな声で叫びました。

 

すると村人は、家から飛び出してきて、

「オオカミはどこだ」と尋ねます。

 

その慌てた顔が面白くて、次の日も

「オオカミがきたぞ」と叫びましたが、

次第に村人たちは、オオカミがいないこと、

少年が嘘をついていることがわかると、

そのうち、誰一人、出て来なくなりました。

 

そして、ある日、本当にオオカミが出た時、

少年は大声で叫びましたが、

少年がまたホラを吹いていると思っている村人たちは、

誰も助けに来てくれません。

 

結局、オオカミは羊を残らず食べてしまい、

「もう嘘なんかつかないよ」と

 

少年は心に誓ったのでした。

 

この話は、ちゃんちゃん。ここで終わります。

 

 

子どもたちに、嘘をついてはいけないよ、

ということを教えるための逸話として

とても有名なお話ですね。

知らない人はほとんどいないでしょう。

 

 

幼く純粋な子どもの頃の私たちの多くは、

この言葉を真摯に受け止め、

できるだけ嘘をつかないようにし、

 

大人になってからも、

誰かに怒られることや否定・非難されそうなこと、

他者から受け入れられない、と感じる事柄については、

他者に嘘をついて、自らの内に隠したり、

時には外部に反発するなどして、

対処してきました。

そんなときは同時に、

罪悪感も感じるかもしれません。

 

 

一方、大人の世界(社会)はどうでしょう。

よくよく見ると、

「建前と本音」が分かれた世界、ではないですか。

 

「あれ、嘘はダメって言っていたのに」

 

 

というか、「綺麗な建前」で塗り固められた世界、と言ったほうが

言い得ているかもしれません。

 

「建前」といえば表現は柔らかいですが、

それは本音と対極にあるので、

はっきりいえば、「嘘」の世界ですね。

 

複数の人が集まれば、みんなそれぞれに思いが違うので、

バラバラにならないように

みんなで秩序を保って、なんとか上手くやっていこう、

という現れでできているのが「建前」。

だから、「綺麗な建前」笑。

そして、その中を私たちは懸命に、健気に生きています。

 

そして、

「建前」という名のもと、

社会を上手くコントロールして秩序を保つための、

さまざまな「ルール」「常識」が

「真実の顔のふりをして」

でんと構えています。

 

 

でも、そこには残念ながら、「本当」はないですね。

だって、一人ひとりの本音を隠した、

大人の綺麗な顔をした嘘ですから。

だから、社会にいくら「真実」を探しても、

何も見つからないでしょう。

 

建前も、ルールも、常識も、

それ自体が悪ではなく、

そういうのもあるよね、と

それに振り回されなければ良いのですが、

 

それによってさまざまな不自由さや窮屈さを感じたり、

ストレスやフラストレーションを抱えて

苦しんでいる人が本当に多いのも事実です。

 

ですが、そのような建前(嘘)の世界の中で

苦しむ必要は全くないよ、ということを

ここではお伝えしたいんです。

 

ここで、とても大事なこと。

この建前ワールドの中では、

自らの「本音」に対して、大きな嘘をついている、ということ。

本当の自分の思い、は見ないふりをして蓋をしている、

ということです。

 

そして、

建前と本音は必ずどこかでズレているので、

(だから建前は存在できます)、

そのズレが積み重なれば積み重なるほど、

ストレスに感じます。

 

そのズレ自体に、

「こんな自分はダメだ」と罪悪感を感じることもあるでしょう。

 

また、それを感じるのが嫌なので、

自らの本音はとにかく無視し、

社会に合わせることを最優先し、

社会の価値観と自らの思いが同化している人も多いことでしょう。

特に日本はこれが顕著なように思います。

 

本音に蓋をし、聴かないようにしていった結果、

自らの本当の気持ちがわからなくなります。

 

でも、その本音はただ心の奥底に隠れていて、

聴いてほしい、って叫んでいるので、

本音を隠せば隠すほどに心は重たくなっていきます。

 

本当はどうしたいのか、がわからない・・

何がしたいのか、わからない・・

相談される方から実によくいただく声のひとつです。

 

 

それが膨れ上がると、心がパンパンに対処しきれなくなって、

悲鳴をあげてしまいます。

 

 

一方で、「内なる心の声(本音)」を聴くことは

ダイレクトに愛につながっていく道です。

 

まずは、あなたの内なるその本音を、

あなた自身がただ聴いてあげるだけで、

かなり楽になっていきます。

 

そして、その本音を「出し切ったら」、

かなりスッキリするはずです。

気分だけでなく、頭もスッキリ、

視界もクリアに見えるかもしれません。

(これはできれば他人に対してではなく、紙に書き出すなどして、自分でやって見ることをお勧めしますし、安全なやり方のワークショップもやっていますので、ご興味あればご参加ください)

 

「そんなことしたら、

この世界の秩序が保てなくなるじゃないか」と恐れる人が

いるかもしれませんが、

 

一人ひとりが、自らの本音を大切にして、

気分よく、心地よく、幸せに過ごしていたら、

無理なく、自然と、調和の方向に向かいます。

 

 

気分がよかったら、周りに対して自然とオープンになり、

優しくなれることは

人間誰しも経験していることですね。

 

そんなとき、あなたの周りの人も、そんな気分の良い

あなたに同調して、次第に心地よく

優しい気分になることでしょう。

 

これこそが、真の調和の世界です。

 

現在、社会の至る所で、これまでにないくらい

さまざまな問題と言われることが世に明るみになったり、

これほどまでにメンタルヘルスが話題になったり、

これまでのルールや秩序では、対処できなくなっているのは、

「本当のこと」「人々の本音」がどんどん表に出てきているからでしょう。

 

それは、美しい建前で塗り固められた嘘の世界から、

本音を生きる、愛の世界へシフトし始めているからかもしれません。

 

本当のことを生きたい、

自分に嘘をつかずに生きたい、

本当の愛を生きたいし、

ありのまま、自然体で生きたいし、

建前や体裁ではなく、

本音と真実に沿った生き方をしたい

 

 

約10年前、私が感じていたことを

率直に書いたメモに、そのようなことが書いてありました。

今も変わらずそのように思っていますし、

実際、そのように生きています。

 

 

もし、同じように感じている、もしくは感じ始めたあなたは、

とても芯が強く、勇敢です笑。

 

そして、本当の幸せを生きている、

もしくは生き始めたのではないでしょうか。

 

本音を生きるととっても楽に。

もっと楽になっていいよ。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらゆる思い込みから解放され自由になるには

「今の自分じゃ不十分だ」

「もっとこうならないと幸せでない(もしくは、将来こうなったら、幸せになれる)」

「人から評価されない、認められない」

「愛されているか不安」

「人から愛されない私はダメだ」

などなど、

 

私たち人は、

人生で起きる様々な出来事がきっかけで、

様々に否定的な思い・感情を感じる生き物です。

 

また、

それらを感じるのがあまりにも嫌だと、

仕事であれ何であれ、

それらを考え、感じる隙がないように

日々の生活において常に自分を忙しくし、

外側の物事に埋没することによって

その不快な思いを見て見ぬふりをしたりもします。

 

今日は、そんな私たち人間の宿命とも言える、

ネガティブな精神構造(特に罪悪感や無価値感)

を根っこから落とすためのきっかけを

分かち合いできればと思います。

 

まず、人は、「自身の思いを投影」して、相手をみています。

とくに、家族であったり、パートナーであったり、

親友であったりと、

その相手が

あなたにとって近しい人であればあるほど、

その投影度合いが強くなります。

 

どういうことかというと、

例えば

「自分のこんなところが嫌だ」とか、

「自分のこんなところがだめだ」

と思っている部分や、

逆に「自分のこんなところが好きだ」、

「こんな点は良いところだ」と思っている部分、

 

また、

「人とはこうだ」「この出来事はこうだ」

「この場合はこうすべきだ」

とジャッジしているあらゆることを、

相手や周りの出来事全てに投影して、

ほぼ無意識的に判断を下している、

ということをやっているのです。

 

それを、「お互いに」

ほぼ無意識にやっています。

 

幼い頃は、周りにいた身近な大人たち、

親や育ててくれた人たちとの関係でそれが生じます。

 

例えば幼い頃、親や周囲の大人たちから何か言われた場合に、

それがポジティブなことであれネガティブなことであれ、

「私にはこんな一面があるんだ」

と、それを「自分の構成要素」として

幼く純粋なあなたは、

何の疑いもなく、採用していきます。

 

それによって、

自分というアイデンティティが確立していく

のです。

 

ですが、それは、

その親だったり周囲の人自身の「投影として」

あなたを観た時に思ったことなのであって、

真実のあなた自身を指し示しているわけではありません。

 

ですから、

それらがどんなことであれ、

あなたを正しく表現できていません。

 

同様に、あなたが誰かに対して判断していること全て、

あなた自身の投影で、その相手をみているだけで、

相手を正しくみれていません。

 

これが人間同士、人類規模で日々おこなわれています。

 

お互いさま、といったところでしょうか・・^^;

 

ですから、

たとえば誰かが、

あなたのことをいくら否定したとしても、

それはあなた自身のことを言っているのではなくて、

 

◯◯はだめだ、嫌だ、やってはいけないことだ、

などとその人が思っている部分を

あなたに投影して見ているに過ぎない、

その人の中で否定している部分を

単に表明しているにすぎない

のであって、

あなたが傷つくことは全くないのです。

だって、それは真実ではありませんから。

 

つまり、

人は、過去にあらゆる人があなたに対して下した判断、

それらの記憶の集約を「自分自身だ」と思って

勘違いしているだけなのです。

 

そして、

それはあなたの周りにいた全ての人からの

様々な投影、様々な判断が混じっていて、

本当に多種多様なので、

あなたという情報が錯綜し、混乱しているのです。

 

それが、

自分自身のことがよくわからない状態に陥ったり、

苦しみの元になっているのです。

 

これが腑に落ちると、

「偽の自分」がごそっと落ちて、本当に楽になると同時に、

本当のピュアな自分に出会えます。

 

腑に落ちるには、

やはり瞑想だったり、それに類するワークが

助けになることでしょう。

 

本当のあなたに目覚め、出会えますように。

 

 

それでは本日も、ウェルビーイングな週末をお過ごしください^^

 

PAGE TOP