全ては自分の心を映し出す鏡

あなたが魅力的だなと思う人や、好きな人を好きだなー、

と感じる理由は、何だと思いますか。

 

それは、

実はあなたの中にもすでにそれがあるから。

普段それは自分の意識の表層に現れていないから

そう思えない、もしくは「足りない」と思っている

かもしれないけれど、

実際に自分の心をよく観ていくと、必ずそうなっています。

 

そして、その人と一緒にいると、その部分が共鳴して、

その好きな要素を感じられる。

だから心地いい。

 

この(人の)話を聴きたいなども同じで、

自分の中で信じているもの、共感的に浮かび上がっているものを

その(人の)話を通して確かめたい場合が殆ど。

 

だから、自分の信念と異なる話には、

興味がないし、

否定したくなる場合もあるかもしれないし、

実際にその話をしている人が目の前にいても

当人は全く聴いていない笑。

もしくは、自分の信念に合致する部分だけ聴いている

場合が殆ど。

 

逆に、「嫌い」も全く同じ原理です。

それは自分の中で無意識に否定している要素だったりします。

 

自分の中で、こういうことをやっちゃいけないとか、

こういう状態はよくない、と否定的な思いを持っている場合に、

それをやっている人を見ると腹が立ったり、

嫌いだーと思うのは、まさにこれです。

 

この世界は、ひとつの狂いもなく完全に、心を映す鏡。

自分の心のフィルターを通して、観ている世界。

だからあらゆる事象、人自体に、いい悪いはないよ。

人は外側の事象自体をえっちらおっちら変えようと努力して、

幸せを「手に入れよう」ともがくけど、

それは天気とか、あらゆる自然現象をコントロールしようとするくらい、全くの無理難題なんだな。

そもそも、現象自体をコントロールできる「私」なんて、いないのだから。

起きる事象を、幸せと感じれば、幸せな現実が現れ、

否定した分だけ苦しい現実が現れる、ただそれだけのこと。

幸せって、本当はものすごくシンプルで、簡単なこと。

 

 

だけど、私たち人間は、物事に色々な思いを持ち、

多くの場合、自動的に恐れから否定的な判断をしてしまいます。

それは、個々の人生の中で創られた思いだけなく、

歴史的に先祖代々、社会全体で作り上げてきた

集合的な思いもたくさん浮遊しているからです。

 

それが、本来の幸せを、シンプルなものではなく、

難しく、とても複雑なものにしてしまっています。

 

だから、否定的な判断に気づいたら、

本当にそう思う?

本当にそうなの?

って内側に尋ねてみたらいいです。

 

時間がかかる場合はあるかもしれないけれど、

本当のことを観たいと願えば、

あれ?なんでそんな風に思ってたんだっけ?って

その否定的な思いが勘違いであったと気づく

時が必ずくるから。

 

そういった思いから解放されたとき、

真の自由や愛の感覚が大きくやってきます。

 

私も、もっともっと深くこれを感じたい^^

実践者のひとりとして、勘違いの思いを落として

いきます。

 

 

今日も簡単ですが、

これまでの気づきのプロセスの中での経験をシェアさせて

いただきました。

 

 

何か、楽に幸せに人生を過ごしていくうえでの

ヒントや気づきのきっかけにしていただけたら、

とても嬉しく思います。

 

それでは、今日も良い1日を!

 

はなみ ゆうか

 

 

「前提」見直しのススメ〜「忙しさ」の本当の理由〜

仕事、家事、育児、介護、家族、友人知人、地域コミュニティとのお付き合い・・

 

「毎日忙しくて大変」

「ただ忙しく日々が過ぎていくだけ」

「自分の時間がほとんど持てない」

「何もかもが中途半端で焦りを感じる」

 

周囲でもよく、そんな声を聴きますし、

実際ご相談いただくこともかなり多いケースです。

 

特に多くの日本人は勤勉だし、真面目なので、

自分の健康を害してでも、

自己犠牲的に頑張ってしまう人も多いですね。

 

そもそもなぜ、こんなに忙しくなってしまうんでしょう。

そこには、他人の目が絡んでいるケースが

とても多いです。

 

例えば、

「みんなより頑張っていることで受け入れられる」

とか

「頑張っているから社会から認められる」

 

ということが無意識的に動機になっていることも

かなり多くあります。

 

だから、暇だと落ち着かない・・笑

 

ちょっと耳が痛いかもしれませんが、

そういう意味で、

忙しさを自ら引き寄せているのかもしれません。

 

さっき言った、

「頑張っていることでみんなから認められる、受け入れられる」

という信念があれば、

忙しさを確実に自身に引き寄せます。

 

なぜなら、心の奥底で、

「ゆとりがあっちゃいけない」

「暇じゃいけない」と思っているので、

無意識的に、そのように行動したり、

周りの人にも、多くの仕事を引き受けていいよ、と

自分でも知らずのうちに表現をしているから。

 

でも、自身の心は疲弊しているので、

もっと楽になりたい、とも思っているわけです。

 

ここで、その忙しさは、本当にあなたにとって必要なことですか。

 

忙しさから解放されて、心から楽になりたい、と感じているなら、

まずは、忙しさの「前提」をチェックしてみるのおすすめします。

 

大抵の場合は、忙しさの「前提」をチェックしていくと、

それは自らの喜びからではなく、

恐れから来ていることがほとんどです。

 

さっきみたいに、

「忙しくしていないと、みんなから受け入れられない、

認められない、怒られるのではないか、

もっと多くの仕事を人から与えられるのではないか・・」

などですね。

 

また、「忙しいのは社会的にちゃんと役割を果たしている

証拠」「ちゃんとやってるから偉いでしょ」

と正当化してしまって、

忙しさのループから抜けられない・・

そんなこともよくあります。

 

いずれも気持ちはよくわかります。

以前の私もそうだったから。

 

でも、残念ながら、

それではあなたの本当の願いは叶わない・・

 

 

誰しもが人生や日々の暮らしの中で

本当に欲しいのは、

 

「幸せを感じること」ですよね。

 

心地よさや喜び、自由、愛、安らぎを感じることのはずです。

 

 

ですから、まずは、自らの行動が、

どんな思い・動機からきているのか、を

一度、正直に検証して、

「忙しさの行動の前提」を確認してみましょう。

 

どんな基準で、自らがその行動を選択しているのか、

を徹底的に確認してみましょう。

 

そして、自らを忙しくしている事柄が、

今のあなたにとって、

喜びに沿ったものでなければ、

一つひとつ、できるものから断捨離がおすすめです。

 

 

 

行動の奥にある動機の部分(行動の基準)を

こうすべきだ、とか、

こうしないと人からこう思われるんじゃないか、

という不安や恐れ、他者基準からではなく、

 

自らの心が喜ぶことを基準に、

自らが選ぶという意識で生活してみると、

生活にちょっとした喜びやワクワクを

感じることが多くなり、楽しくなってきます。

 

 

また、基本、あまり忙しくなくなります。

人生で本当に必要なこと・大切なことなんて、

そんなに多くないことが見えてくるからです。

 

 

もちろん、一気にやることは減らないかもしれません。

でも、日々やることが多かったとしても、

心にはゆとりがあって、

あまり忙しいと感じなくなります。

なぜなら、そのやることは義務感からでも恐れからでもなく、

「喜び」前提でやっているから。

 

 

この前提・基準(あり方)が、自己基準、喜び基準にシフトしていくことは、

超基本的なスタンスだけど、

とっても大事なウェルビーイングの基本であり、第一歩です。

 

何かピンときたものがあれば、

 

ぜひ、まずは「前提」の見直しをおススメします。

 

ノートとペンを持って、

ぜひ自身と向き合ってみてください。

 

もし、今はそんなの無理だ・・

できない・・と思ったあなたも、

それはそれで大丈夫。

 

今はその「できないと感じる流れ」の中にいるかもしれないけど、

その流れは永遠に続かないから。

あなたがピンときた時が、その時です。

 

 

それでは本日も、ウェルビーイングな1日をお過ごしください^^

 

 

 

 

 

嘘のつけない本音の時代へ

有名な、ある嘘つきの童話のお話です。

 

昔々、青々と茂る野原に、少年が寝そべっていました。

少年は羊飼い。

毎日牧草を食べる羊の番をしています。

 

「退屈だな・・」

毎日同じことの繰り返しで、飽きていた少年は、

もっと面白いことがあったらいいのに、と思っていました。

「そうだ!」

羊飼いはいいことを思いつき、むくりと起き上がって、

「オオカミがきたぞ!」と大きな声で叫びました。

 

すると村人は、家から飛び出してきて、

「オオカミはどこだ」と尋ねます。

 

その慌てた顔が面白くて、次の日も

「オオカミがきたぞ」と叫びましたが、

次第に村人たちは、オオカミがいないこと、

少年が嘘をついていることがわかると、

そのうち、誰一人、出て来なくなりました。

 

そして、ある日、本当にオオカミが出た時、

少年は大声で叫びましたが、

少年がまたホラを吹いていると思っている村人たちは、

誰も助けに来てくれません。

 

結局、オオカミは羊を残らず食べてしまい、

「もう嘘なんかつかないよ」と

 

少年は心に誓ったのでした。

 

この話は、ちゃんちゃん。ここで終わります。

 

 

子どもたちに、嘘をついてはいけないよ、

ということを教えるための逸話として

とても有名なお話ですね。

知らない人はほとんどいないでしょう。

 

 

幼く純粋な子どもの頃の私たちの多くは、

この言葉を真摯に受け止め、

できるだけ嘘をつかないようにし、

 

大人になってからも、

誰かに怒られることや否定・非難されそうなこと、

他者から受け入れられない、と感じる事柄については、

他者に嘘をついて、自らの内に隠したり、

時には外部に反発するなどして、

対処してきました。

そんなときは同時に、

罪悪感も感じるかもしれません。

 

 

一方、大人の世界(社会)はどうでしょう。

よくよく見ると、

「建前と本音」が分かれた世界、ではないですか。

 

「あれ、嘘はダメって言っていたのに」

 

 

というか、「綺麗な建前」で塗り固められた世界、と言ったほうが

言い得ているかもしれません。

 

「建前」といえば表現は柔らかいですが、

それは本音と対極にあるので、

はっきりいえば、「嘘」の世界ですね。

 

複数の人が集まれば、みんなそれぞれに思いが違うので、

バラバラにならないように

みんなで秩序を保って、なんとか上手くやっていこう、

という現れでできているのが「建前」。

だから、「綺麗な建前」笑。

そして、その中を私たちは懸命に、健気に生きています。

 

そして、

「建前」という名のもと、

社会を上手くコントロールして秩序を保つための、

さまざまな「ルール」「常識」が

「真実の顔のふりをして」

でんと構えています。

 

 

でも、そこには残念ながら、「本当」はないですね。

だって、一人ひとりの本音を隠した、

大人の綺麗な顔をした嘘ですから。

だから、社会にいくら「真実」を探しても、

何も見つからないでしょう。

 

建前も、ルールも、常識も、

それ自体が悪ではなく、

そういうのもあるよね、と

それに振り回されなければ良いのですが、

 

それによってさまざまな不自由さや窮屈さを感じたり、

ストレスやフラストレーションを抱えて

苦しんでいる人が本当に多いのも事実です。

 

ですが、そのような建前(嘘)の世界の中で

苦しむ必要は全くないよ、ということを

ここではお伝えしたいんです。

 

ここで、とても大事なこと。

この建前ワールドの中では、

自らの「本音」に対して、大きな嘘をついている、ということ。

本当の自分の思い、は見ないふりをして蓋をしている、

ということです。

 

そして、

建前と本音は必ずどこかでズレているので、

(だから建前は存在できます)、

そのズレが積み重なれば積み重なるほど、

ストレスに感じます。

 

そのズレ自体に、

「こんな自分はダメだ」と罪悪感を感じることもあるでしょう。

 

また、それを感じるのが嫌なので、

自らの本音はとにかく無視し、

社会に合わせることを最優先し、

社会の価値観と自らの思いが同化している人も多いことでしょう。

特に日本はこれが顕著なように思います。

 

本音に蓋をし、聴かないようにしていった結果、

自らの本当の気持ちがわからなくなります。

 

でも、その本音はただ心の奥底に隠れていて、

聴いてほしい、って叫んでいるので、

本音を隠せば隠すほどに心は重たくなっていきます。

 

本当はどうしたいのか、がわからない・・

何がしたいのか、わからない・・

相談される方から実によくいただく声のひとつです。

 

 

それが膨れ上がると、心がパンパンに対処しきれなくなって、

悲鳴をあげてしまいます。

 

 

一方で、「内なる心の声(本音)」を聴くことは

ダイレクトに愛につながっていく道です。

 

まずは、あなたの内なるその本音を、

あなた自身がただ聴いてあげるだけで、

かなり楽になっていきます。

 

そして、その本音を「出し切ったら」、

かなりスッキリするはずです。

気分だけでなく、頭もスッキリ、

視界もクリアに見えるかもしれません。

(これはできれば他人に対してではなく、紙に書き出すなどして、自分でやって見ることをお勧めしますし、安全なやり方のワークショップもやっていますので、ご興味あればご参加ください)

 

「そんなことしたら、

この世界の秩序が保てなくなるじゃないか」と恐れる人が

いるかもしれませんが、

 

一人ひとりが、自らの本音を大切にして、

気分よく、心地よく、幸せに過ごしていたら、

無理なく、自然と、調和の方向に向かいます。

 

 

気分がよかったら、周りに対して自然とオープンになり、

優しくなれることは

人間誰しも経験していることですね。

 

そんなとき、あなたの周りの人も、そんな気分の良い

あなたに同調して、次第に心地よく

優しい気分になることでしょう。

 

これこそが、真の調和の世界です。

 

現在、社会の至る所で、これまでにないくらい

さまざまな問題と言われることが世に明るみになったり、

これほどまでにメンタルヘルスが話題になったり、

これまでのルールや秩序では、対処できなくなっているのは、

「本当のこと」「人々の本音」がどんどん表に出てきているからでしょう。

 

それは、美しい建前で塗り固められた嘘の世界から、

本音を生きる、愛の世界へシフトし始めているからかもしれません。

 

本当のことを生きたい、

自分に嘘をつかずに生きたい、

本当の愛を生きたいし、

ありのまま、自然体で生きたいし、

建前や体裁ではなく、

本音と真実に沿った生き方をしたい

 

 

約10年前、私が感じていたことを

率直に書いたメモに、そのようなことが書いてありました。

今も変わらずそのように思っていますし、

実際、そのように生きています。

 

 

もし、同じように感じている、もしくは感じ始めたあなたは、

とても芯が強く、勇敢です笑。

 

そして、本当の幸せを生きている、

もしくは生き始めたのではないでしょうか。

 

本音を生きるととっても楽に。

もっと楽になっていいよ。

 

 

はなみ ゆうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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